人気ブログランキング | 話題のタグを見る

杉浦日向子『合葬』―“身近な昔話”としての死と戦争

合葬 (ちくま文庫)


【あらすじ】
時は慶応4年、4月11日。旗本の養子である柾之助は、酒席でのいざこざで死んだ養父の仇を討てと養母に言われ家を出るが……。一方、佐幕派で江戸市中の治安取締りを行う彰義隊に入隊した秋津極は、許嫁との縁組を解消するため福原家を訪れていた……。


現在、大河ドラマでは『八重の桜』を放送している。『八重の桜』は戊辰戦争を描いているが、中でも会津戦争を主にしている。
この『合葬』もまた戊辰戦争を取り上げているが、こちらが描くのは上野戦争である。

上野戦争は慶応4年5月15日、旧幕府軍である彰義隊と新政府軍のあいだで行われた戦争で、もちろんと言ってはなんだが、新政府軍が勝利を収めた。
『合葬』は彰義隊側の視点から上野戦争前後の経過を描いているが、決して、どちらが正しいとか、あの戦争は何だったのか、彰義隊とは何だったのか、みたいなことを描いてはいない。この作品について、作者の杉浦日向子さんはこう述べている。

四角な歴史ではなく身近な昔話が描ければと思いました。彰義隊にはドラマチックなエピソードが数多くあります。勝海舟、山岡鉄舟、大村益次郎、伊庭八郎、相馬の金さん、松廼家露八、新門辰五郎等、関わるヒーローもたくさんいます。が、ここでは自分の先祖だったらという基準を据えました。隊や戦争が主ではなく、当事者の慶応四年四月~五月の出来事というふうに考えました。〉(杉浦日向子『合葬』筑摩書房、5頁)

そう、あくまである人間が経験した出来事として戦争を描いている。歴史を整理し、上から眺めているような教科書的なものではなく、そこに生きる人間の体感としての戦争。
だから、彰義隊を美化したものにはなっていない。よくドラマや映画では新選組や白虎隊など新政府に抗う人々が美化され、そうした人々の死には美しさがあり、意味があるように描かれる。
しかし、この作品では、彰義隊士たちの死は淡々と描写される。美しくもないし、特別意味付けもなされない。戦争という殺戮を目的とするイベントの中で、当然のごとく血が流れ、人が死ぬだけである。
だからこそ、淡々としてはいるが、それらの死には圧倒的な現実味がある。
ゆえに、むやみやたらに残酷に描いているわけではないのに、戦争というものの虚しさ、惨さがありありと伝わってくる。

一方で、この作品は“戦争”という程遠いものを、身近なものとして感じさせてくれる。
主役級三人―柾之助、極、悌二郎―をはじめ、描かれている人々は、ケンカをしたり恋をしたり家族や友人を想ったりする、私たち現代人と何ら変わりない普通の人間、血の通った人間である。
しかし、そんな彼らが戦に身を投じ、巻き込まれ、殺し、殺される。
普通の人々が突然戦争の加害者となり、被害者となる。ついさっきまで元気だった人間が一発の銃弾によってあっさりと命を落とす。そういったリアリティによって、程遠いものであったはずの“戦争”が自分の隣にぎゅっと引き寄せられる。
柾之助は、極は、悌二郎は、私自身の姿であるのかもしれない。そういう感覚にさえ陥る。

最後にもうひとつ、杉浦さんの言葉を。

江戸時代というと何か、SFの世界のように異次元じみて感じられます。自分の父祖が丁髷を結ってウズマサの撮影所のような街並を歩いている姿など実感がわきません。が確かに江戸と現代はつながった時の流れの上にあり、丁髷の人々が生活した土地に、今わたしたちもくらしています。遠い所の遠い昔の話のようでも、この場所でほんの百二十年前の父祖たちの話なのです。〉(同書、190頁)

まさに「つながった時の流れの上」にあるものとして、江戸の終わりを体感できる『合葬』。ぜひご一読を。


【ブログ内関連記事】
杉浦日向子『百日紅』―自由な人々 2015年4月13日


合葬 (ちくま文庫)
合葬 (ちくま文庫)
posted with amazlet at 20.03.17
杉浦 日向子
筑摩書房
売り上げランキング: 42,467

by hitsujigusa | 2013-06-10 04:24 | 漫画