トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』―日常を慈しむ心

新装版 ムーミン谷の彗星 (講談社文庫)



【あらすじ】
長い雨が降り続いたムーミン谷。雨が上がるといろんなものがどす黒くなっていた。「地球がほろびる」というじゃこうねずみの言葉に、ムーミントロールやスニフはパニック。そんなふたりを落ち着かせるために、ムーミンパパは天文台へ行くことを提案。ムーミントロールとスニフは天文台があるおさびし山へと旅立つが……。

今日、8月9日はムーミンの日。作者のトーベ・ヤンソンさんの誕生日。
ということで、今回はムーミンシリーズの第1作、『ムーミン谷の彗星』です。(

“ムーミン”というと、可愛いキャラクターやファンタジー的なイメージが強いが、この小説版ではかなりシビアなことも描かれている。なにしろ彗星が地球に向かってくるのだ。こんなにシビアなことはない。
しかもこどもだましのシビアさではない。雨が降り続いたり、いろんなものがどす黒くなったり、空気中にりんのにおいがしたり、空が赤くなったり、よくよく考えればものすごくリアルな自然の脅威が描かれている。
この作品に限らず、ムーミンシリーズの魅力のひとつは、こういった自然の描き方だろう。身近な自然や自然現象を美しく描くのはもちろん、彗星や洪水のような恐ろしい自然もきちんと描く。
そうしたところからは、ヤンソンさんの自然に対する敬意が感じられる。
やはり故郷フィンランドの風土が反映されているのだろう。森や湖が点在し、豊かな海にも恵まれたフィンランド。しかし、夏は短く冬は長く、厳しい。自然から与えられるものもあれば、我慢しなければならないこともある。
自然とともに生きるということの大変さ、けれどその幸せが描かれている。
それを最も感じられるのが、彗星が過ぎた後に、干上がった海が戻ってくるシーン。

 ふたりが、だまってすわったまま、まっていると、空の光が、ずんずんつよくなってきました。朝日がのぼりました。しかも、いつもとすこしもかわりのない朝日でした。
 いまは、海がなつかしい海岸にむかっておしよせてきて、日がのぼるにつれて、青く青くなっていきました。波がもとのふかみに流れこみ、底におちつくと、みどり色になりました。
 どろの中にかくれていた、およぐもの、くねるもの、はうもの、すべて海の生きものが、すきとおった水の中へ、おどりあがりました。海草もたちなおり、太陽にむかってのびはじめました。そして、うみつばめが一わ、海の上へとびだして、あたらしい朝がまたやってきたことを、つげました。


いつもの朝や海が見られるということ、いつもの日常が帰ってきたのだという喜びが、ひしひしと感じられる。そこにある自然や日常の風景を慈しむ心を思い出させてくれる場面だ。

日常を大切にするといえば、その精神はまさにキャラクターたちに受け継がれている。
ムーミントロール始めムーミン谷の人びとは、多少あわてはするが、それでもいつもの自分らしさを忘れない。ムーミントロールは彗星なんかパパとママがちゃんとしてくれると言い、スニフは自分が見つけた子ねこを気にかけ、ムーミンママは逃げる時にもデコレーションケーキやバラを持っていく。それどころか、ダンスをしたり、石ころがしをしたり、買い物をしたり、悠長なものである。
でも、それは落ち着いているとかいうのではなく、そうすることしかできないからなんだろうと思う。非常時でも、いつもどおりのことしかできない正直ないきものたち。けれど、正直かつマイペースであることによって、彼らはどんなときでも“自分らしさ”を忘れず、二度と訪れることのないかけがえのない一日一日を、最大限楽しみながら生きている。
なかなか人間には真似できないけれど、ムーミントロールたちは現代人が忘れかけている大切なものを教えてくれるのではないかと思う。


ムーミンシリーズで最初に書かれたのは『小さなトロールと大きな洪水』ですが、この作品はしばしばメインのムーミンシリーズの前日譚として位置づけられることがあり、そのため講談社が出版している日本語版では『ムーミン谷の彗星』が第1作とされています。

:記事内の引用は、トーベ・ヤンソン著『ムーミン谷の彗星』(講談社、2011年4月)からです。

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by hitsujigusa | 2013-08-09 00:53 | 児童文学 | Trackback | Comments(0)