山川方夫『夏の葬列』―非日本的な夏の風景

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【収録作】
「夏の葬列」
「待っている女」
「お守り」
「十三年」
「朝のヨット」
「他人の夏」
「一人ぼっちのプレゼント」
「煙突」
「海岸公園」


“夏”を感じさせるミュージシャンと言えば、サザンとかTUBEとかいろいろいるわけだが、小説家なら誰を思い浮かべるだろう? 私にとってそれは、山川方夫、その人である。
山川方夫の名を知る人は現代ではそう多くない。芥川賞に4度、直木賞に1度、候補に挙げられ、“万年芥川賞候補作家”と揶揄されることもあったようだが、それでも昭和30年代において評価の高い作家であったのは間違いないだろう。
その生涯についてはこの本の解説、年譜に詳しく書かれているが、穏やかでありながら波乱万丈という不思議な人生を送ったように見える。
生まれは裕福で、父は鏑木清方を師とする日本画家、母は京都の染物問屋の娘。幼稚舎から大学まで慶応というまごうことなきお坊ちゃんである。ところが14歳の時に父が急死し、方夫は突然家長となる。
大学在学中に作品を発表し始め、大学院生時に文芸雑誌『三田文学』の編集者となり、多くの新人を発掘。編集から退いたのち執筆活動を本格化させ、次々と芥川賞候補となる。
しかし、いよいよこれからという時、交通事故によって亡くなる。34歳だった。

そんな彼の人生が、作品には不思議なほどに反映されている。
山川方夫は“一瞬の日のかげり”に敏感な作家であったと、川本三郎氏は鑑賞で評している。

 夏の暑い日盛りに突然日の光がかげることがある。(中略)薄い暗がりの中で周囲の空気が心なしか冷たく感じられてくる。それまで意識していなかった自分の心のなかの暗がりが急に意識されていく。
 しかしその日のかげりは長くは続かない。雲が去ってまた日の光が強く照りつけてくる。ただそのときわれわれが日の光を見る目は前とは少しだけ違っている。明るい日の光もまたかげる瞬間があることをわれわれは考えるようになっている。
 山川方夫は誰よりもこの日のかげりに敏感だった作家に思える。
(山川方夫『夏の葬列』集英社、1991年5月、238頁)

平凡な日常の中の瞬間的にかげるある瞬間を、山川方夫の作品は鋭くとらえ、切り取る。そのかげりは一瞬のささやかなものだが、漂う雰囲気が穏やかであるだけに余計に暗みは濃い。
また、川本氏は山川方夫の作品に“夏”と“海”が多く登場するとした上でこう述べている。

 日ざしがふつうの季節より強く感じられる夏と同じように日ざしがふつうの場所よりも強く感じられる海辺が選ばれることで一瞬の日のかげりがより強く印象づけられる。(同書、241頁)

この『夏の葬列』には、そうした“夏”を描いた短編が多く収録されている。
この中では、「夏の葬列」「十三年」「朝のヨット」「他人の夏」がそれにあたる。どれもいわゆるショートショートである。長くても10ページほどにしかならない。

「夏の葬列」は山川方夫の作品の中でも特に有名なのではないだろうか。国語の教科書に掲載されていたことがあるようだ。(今もだろうか)
物語の出だしはこうだ。ある男が海辺の小さな町を十数年ぶりに訪れる。男は戦時中、疎開児童としてこの地に住んでいたが、ある嫌な思い出があって遠ざけていたのだった。嫌な思い出、それは突然来襲した艦載機から自分を助けようとしてくれた少女を突き飛ばし、殺してしまったという罪の意識だった―。
戦争に関連した内容なので重さはあるが、それでもどこかさらりとした独特の軽さもある。苦いものと優しいものが混在する何とも形容しがたい読後感の作品と言える。

「十三年」は、喫茶店で友人と待ち合わせている男が、因縁のある年上の女性と再会して―という話。
ただそれだけの話といえばそれだけなのだが、ちょっとしたしかけがあり、「夏の葬列」同様ミステリーめいた作品になっていて、おっ、と思わせられる。たった数ページの中に人間の人生の明暗を凝縮していて、書かれていないところまで想像させるような広がりがある。

一方、「朝のヨット」は、ヨット乗りの少年とその恋人の少女の純愛的な小品。初夏の海を舞台にしていて、作者の得意な“海”が魅力的に美しく描写されている、まるで海が主役のような作品。

そして、「他人の夏」。これは私が初めて読んだ山川作品であり、個人的に思い入れのある作品。“夏”、“海”という山川方夫の得意分野が両方いかんなく発揮されている。
主人公はガソリンスタンドでアルバイトする中学生の慎一。彼が住む海辺の町は都会人の避暑地として人気があり、夏は夜の間も騒々しい。慎一はある日、人の少ない深夜の海で久しぶりに泳ぐことにしたのだが―。
ひょんな出会いを描いた作品だが、日常の場面からある瞬間を機に一転する、その書き方が、さりげないものでありながら強烈に印象に残る。

このように山川方夫は“夏”を多く描いたわけだが、そこにはある特徴がある。それは、日本的な湿っぽさが全くないということだ。

 やがて、彼はゆっくりと駅の方角に足を向けた。風がさわぎ、芋の葉の匂いがする。よく晴れた空が青く、太陽は相変わらず眩しかった。海の音が耳にもどってくる。(「夏の葬列」、同書、16頁)

 やはり、海は親しかった。月はなかった。が、頭上にはいくつかの星が輝き、黒い海にはきらきらと夜光虫が淡い緑いろの光の呼吸をしている。
 夜光虫は、泳ぐ彼の全身に瞬きながらもつれ、まつわりつき、波が崩れるとき、一瞬だけ光を強めながら美しく散乱する。
(「他人の夏」、同書、58頁)

日本特有のじめじめとまとわりつくような暑さ、うだるような感じがない。もちろん日本を舞台にしているのだが、からっと乾いていて、爽やかささえある。カリフォルニアのような雰囲気だ。それゆえに、日本でありながら日本でないというどこか浮世離れした風情が漂う。
これは、汗とか蝉時雨とか暑さを連想させるようなものをあえて描いていないという仕掛けのせいもあるだろうが、山川方夫が少年時代を湘南の町で過ごしたというのも大きいように思う。
湘南と言うと、サザン、サーフィン、太陽族、別荘などしゃれたイメージがある。それらは共通して垢抜けていて、旧来の日本的な海辺の光景とはかけ離れている。やはりそこには湿っぽさはない。
山川方夫の原風景としての湘南が、これらの作品には反映されているように感じる。

さらに言えば、彼の作風が元々都会的だというのもある。「他人の夏」には、まさに避暑地=湘南を訪れる都会客たちの“都会人らしさ”が描かれているが、田舎の風景を描いた「夏の葬列」でさえ、田舎独特の野暮ったい感じがない。
余談だが、先に挙げた川本三郎氏は、江國香織さんのショートショート集『つめたいよるに』の解説で、ショートショートの名手といわれた山川方夫の世界を思い出す、と述べている。確かに都会的な洗練された作風、日本なのに日本っぽくない雰囲気はよく似ている。
そういった意味では、村上春樹さんの初期の短編なんかにもちょっと似ているかもしれない。

34歳の時、山川方夫は結婚し、自分がかつて暮らした湘南の町、二宮に居を構える。
しかし、1年もしないうちに方夫は二宮駅前でトラックにはねられその人生を終える。突然父を亡くした二宮で、彼もまた突然死んだわけである。
早逝したことはあまりにも残念でならないが、湘南、そして夏を描いた作品たちには、彼の人生が詰まっているような気がする。

いつ読んでもおもしろいが、特に夏にこそおすすめしたい一冊である。


【参考リンク】
「山川方夫」(2012年8月27日(月)15:53 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

【ブログ内関連記事】
夏に読みたい小説・私的10撰 2014年7月8日  山川方夫『夏の葬列』を記事内で取り上げています。


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by hitsujigusa | 2013-08-14 02:26 | 小説 | Trackback | Comments(0)