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氷室冴子『海がきこえる』―キラキラじゃない青春物語

海がきこえる (徳間文庫)


【あらすじ】
 大学入学を機に高知から上京した杜崎拓。引っ越しの荷物の中から偶然見つけたのは、高校2年の修学旅行で撮られた里伽子の写真だった。それをきっかけに拓は里伽子と過ごした日々を回想する。高校2年の秋、拓の通う私立高校に編入してきた武藤里伽子は美人で成績優秀だったが、馴れ合いを好まず周囲から浮いた存在となっていて――。


 7月21日は海の日。ということで、タイトルに“海”がつく小説、氷室冴子さんの『海がきこえる』を今回は取り上げます。
 『海がきこえる』は雑誌『アニメージュ』に1990年から1992年に連載され、その後スタジオジブリによってアニメーション化されたことでも有名である。

 ストーリーは実にシンプル。地方都市に住む主人公の少年が東京から転校してきた美少女と出会う。その美少女に主人公の親友が片想いするが美少女にその気はなく、3人は微妙な三角関係となっていく……というのがあらすじ。それを回想するという形で主人公の現在=大学生活も描かれていて、ちょっと昔を懐かしく思い出すという物語になっている。
 こうしてあらすじだけ見ればこの作品は本当に青春小説の王道で、何の変哲もないよくある話のように思われるかもしれない。実際、10代の少年少女特有の青臭さ、甘酸っぱさ、ほろ苦さが作品全体に漂っていて、青春小説らしい雰囲気を存分に味わうことができる。
 作者の氷室冴子さんは元々コバルト文庫で活躍した作家で、少女小説、少女漫画っぽい小説を得意としてきた。『海がきこえる』にも少女漫画っぽい設定(ちょっと頼りない主人公、ツンデレの美少女)やお約束の展開(修学旅行や文化祭といったイベントでの事件)が用意されており、ゆえにストーリー自体には目新しさはないしそれだけを取り上げれば古典的なお話しと言える。
 にもかかわらず、不思議とこの作品にはライトな青春モノにありがちな甘ったるさみたいなものがない。ノスタルジックな風情はあるが、変にべたついた感じ、湿っぽい感じはなく、どこまでもサラッとしている。

 そうさせている理由の一つは、物語の語り手である主人公・拓の語り口調だろう。どこか冷めた目線で淡々と起こった事実を述べていく拓の語りは読者を一歩引かせて、どっぷり感情移入したり感傷的になったりさせない。青春ど真ん中といった感じの物語だから文章まで濃い目だと甘々になり過ぎるきらいがあるが、拓の淡々とした目で語られることによって絶妙なバランスを獲得している。
 さらに、小説の構成の効果も大きいと思う。作品は前半部が主に拓の高校時代、後半部が現在(大学生活)の話になっている。前半は大学生の拓が高校時代を振り返るというつくりになっているわけだが、今の目で昔を見ることによって拓自身が冷静に分析している感じがあって、それがほどよいクールさを醸し出しているのだ。また、昔といっても10年も20年も昔でないのが良い。10年以上昔だと懐かしさが前面に出て思い出に浸るような雰囲気になりそうだが、1、2年前だと懐かしいというほどでもなく、それでいて冷静に振り返ることができるくらいの時間は経っている。その昔過ぎない設定が単に昔を懐かしむだけの作品とは一味違う新鮮味を生んでいるように思う。

 もう一つ、『海がきこえる』の魅力はほぼ全編に渡って土佐弁が登場することだ。青春モノでこれだけ方言満載な小説も珍しいと思うが、これが標準語だとだいぶ印象が変わってくるだろう。
 たとえば、拓と親友の松野が会話を交わすこんな場面。

「おまえら、ふたりでデートしよったとき、ぼくを見かけたがやってにゃ」
「デートじゃないよ」
 松野もとなりの籐椅子に座りながら、心からびっくりしたように笑った。
「たまたま、正月明けの帯屋町で、ばったり会うてよ。どうせダメモトで映画さそったら、すんなりOKで、こっちのほうが驚いたぞ」
「ふーん」
「なに話してえいかわからんし、おたおたしよったら、おまえが『いわさき』の裏のほうで、ポリバケツ洗いゆうが見えたき、もうちょっとで声かけるとこやった」
「なんで、声なんかかけんだよ。ふたりきりで、えいやんか」
「いや、ああいうのはほんと、気後れするで。ふたりよか、3人のほうがまだ助かる」


 これを標準語に変換するならば……。

「おまえら、ふたりでデートしてたとき、ぼくを見かけたんだってな」
「デートじゃないよ」
 松野もとなりの籐椅子に座りながら、心からびっくりしたように笑った。
「たまたま、正月明けの帯屋町で、ばったり会ってさ。どうせダメモトで映画さそったら、すんなりOKで、こっちのほうが驚いたよ」
「ふーん」
「なに話していいかわからないし、おたおたしてたら、おまえが『いわさき』の裏のほうで、ポリバケツ洗ってるのが見えたから、もうちょっとで声かけるとこだった」
「なんで、声なんかかけるんだよ。ふたりきりで、いいじゃないか」
「いや、ああいうのはほんと、気後れするぜ。ふたりよりか、3人のほうがまだ助かる」


 という感じだろうか。実際は標準語でももっとくだけた喋り方をするだろうが、きっちり訳すとしたらこんなふうだと思う。
 こうして見てみると同じ内容でも方言と標準語では全く雰囲気が違う。標準語のほうが何となくスマートというかきれいさはあるが、言葉の温度みたいなものはあまり感じられない。一方、方言は田舎臭さはあるかもしれないが、喋る人間の実在感、生活感、生々しさが感じられる。
 方言という土着的なもので繰り広げられることによって、小説に土の匂いが加わる。登場人物たちが本当に実在しているんじゃないかと思わせられるようなリアリティ、彼らのことを知っているかのような懐かしさ。現実離れ感がしがちな青春ラブストーリーが、方言によって日本の普通の若者たちの日常の物語となっているのである。

 少女漫画チックでありながらキラキラ感はさほどない『海がきこえる』。よくある青春モノとはまた違ったおもしろさを味わえる。青春モノが好きな人はもちろん、そうでない人にもぜひ手に取ってみてほしい良作です。
 ちなみに、続編の『海がきこえるⅡ アイがあるから』もまた良し。アニメ版の『海がきこえる』も原作の雰囲気を忠実に再現していて素晴らしいのでこちらもおすすめ。


:記事内の緑色の部分は氷室冴子著『海がきこえる』(徳間書店、1999年6月)から引用させていただきました。


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by hitsujigusa | 2014-07-19 02:00 | 小説