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杉浦日向子『百日紅』―自由な人々

百日紅 (上) (ちくま文庫)


【あらすじ】
 文化11年、江戸。葛飾北斎、55歳。世に名を馳せる人気絵師でありながら下町の長屋に住み、質素な暮らしを送っている。北斎と同居するのが娘のお栄、23歳。北斎の片腕として、また代筆として父にも劣らぬ才能を発揮する。そんな変わり者親子の周りには、女好きで春画を得意とする居候の池田善次郎、北斎の愛人で女弟子の井上政、対立する一門でありながら北斎を慕う売れっ子若手絵師の歌川国直、北斎に振り回される本問屋の主人ら、個性的な面々が集まる。北斎とお栄、そして二人を巡る人々の毎日はふしぎな出来事やちょっとした事件に満ちていて――。


 江戸という時代を圧倒的な画力と観察力で徹底的にリアルに描いた稀代の漫画家、杉浦日向子さん。1980年に漫画家としてデビュー、1993年に惜しまれつつ漫画家を引退、その後は江戸風俗研究家としてテレビでも活躍しましたが、2005年に下咽頭癌のため46歳の若さで亡くなりました。そんな杉浦さんの没後10年ということもあってか、今年2015年は杉浦さんの残した名作が次々と映像化されます。
 当ブログでも取り上げた『合葬』は秋に実写映画として公開予定、そして『百日紅』はアニメ映画として5月9日に公開されます。ということで、今回は『百日紅』について少し書きたいと思います。

 『百日紅』は1話完結型の長編作品です。「番町の生首」「ほうき」「恋」「木瓜」「龍」「豊国と北斎」「鉄蔵」「女弟子」「鬼」「人斬り」「四万六千日」「矢返し」「再会」「波の女」「春浅し」「火焔」「女罰」「酔」「色情」「離魂病」「愛玩」「綿虫」「美女」「因果娘」「心中屋」「仙女」「稲妻」「野分」「夜長」「山童」の全30話で、映画ではお栄が主人公ですが、漫画では各話ごとにフィーチャーされる人物が変わり(時には北斎ともお栄とも直接関係ない人物がメインになることも)、そうしたエピソードの連なりで一つの作品となっています。

 物語の鍵となるのはやはり北斎ですが、北斎の人生とか仕事をテーマにしているわけではなく(それもあるけど)、あくまで江戸の市井の人々の姿を特徴的なエピソードとともに描いた群像劇です。
 読んでいちばん印象に残ったのは、流れる空気がゆったりしていること。一部の例外を除いて誰も時間に追われていない。北斎やお栄には絵の注文の締め切りがあったりするけれど、にもかかわらずなんだかのんびりしている。仕事をサボってるとか雑にやってるとかではなくて(サボるときもあるけど)、やるときはやるんだけれどもやらないときはやらない、みたいな。ちゃんと自分で自分の時間をコントロールしていて、だから仕事に食われたり潰されたりすることもない。
 もうひとつ、いいなと思うのは風通しの良さ。人も町も風通しが良い。ベストな表現が思いつかないが、開放感、爽快感、大らかさとも言い換えられる。とにかく窮屈さがない。みんなのびのびしている。人と人とのあいだに適度な距離感があって、それはたとえ親子であっても師弟であっても他者の領域に土足でずかずか踏み込まない、ちょうどいい距離の取り方を心得ている。現代では家族間や会社内などで変なかたちの過干渉が流行ってますが(マザコン、モラハラ、パワハラ、セクハラ……)、『百日紅』の人々はそこんところの“好い加減”をしっかり分かっているんですね。お互いの個性を尊重して、なんてつもりは北斎やお栄たちにはさらさらないでしょう。でも、変わり者でも悪者でも温かく受け入れてくれる、かどうかは分からないけど、別にいてもいいよ、と存在を認めてくれるような器の大きさを感じるのです。

 そんな人々によって作られているから、江戸という町自体もどっしり坐って両腕広げている感じがします。ゆえに怪奇の類も生き生きと幅を利かせます。
 『百日紅』にはいくつか狐狸妖怪や非現実的な現象が登場するエピソードがありますが、その一つが第2話の「ほうき」です。

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 「ほうき」は亡くなった知人の死に顔の写生を引き受けた北斎が絵を描いていると、死人に魔が差して突然動きだす“走屍(そうし)”に出くわすという話。もちろんこんなことは頻繁に起こることではないので北斎も驚くが、吃驚仰天してあたふたしたりはせず、とりあえず絵を描き続ける。こんなふうに普通ありえないことが起こっても否定したり騒いだりするのではなく、走屍だからと肯定してしまうのが良いですね。これ以外にも北斎たちは摩訶不思議な出来事にたびたび出会いますが、どんな時もそういうもんだといわんばかりに泰然と受け容れます。そういった人知を超えたものを排除しない江戸の人々のスタンスがあるからこそ、不思議なモノやコトも人間の前に現れるのでしょうし、うまく共生できるんだろうなという気がします。個人的にはこういう一見無駄とも思える雑多なもので溢れた世界の方が、科学の力で統一された隙の無い世界よりも、好きだし楽しそうだなーと思いますね。

 もちろん江戸時代も楽しいことばっかりじゃありません。なんといっても死の問題があります。戦だらけの時代より改善されたとはいえ、殺人、武士の人斬り、病、身投げ、子どもの死、江戸の名物とも言われる火事など、まだまだ死は人々の身近にあり、『百日紅』の中でもしばしば死に関連する風景が描かれます。でも、その死さえも全体的にどこかさっぱりとしていて、湿っぽくはない。その描き方が、死が決して特別なものではなく生のすぐ隣りに在るものなのだと感じさせます。一方で、というか、だからこそ、生きている人たちのほとばしるような生の濃さが際立って印象に残ります。生と死、光と闇が区別なく曖昧に混じり合っているところが、なんとも言えない“お江戸”の魅力なのかもしれません。

 けれどその生きている人たちもただ生命を漲らせて明るさに満ちているかというとそんなことはなくて、孤独の影が常に付き添っています。メインキャラクターのみならず、1回こっきり出演の人たち、特に『男はつらいよ』のマドンナ的に登場する女性たちも、人と親しく付き合いはするけれどもベタベタはしてなくて、その独りで地に足つけてすっくと立ってる感じが、何ともかっこよくて美しい。でも別の言い方をすればそれは孤独ということでもあります。自分の人生は自分でどうにかしなければいけないという当たり前かつ意外に難しいこと。もちろん困ったときに人を頼ったり助けてもらったりすることはできるが、根本的な心の問題は自分自身で引き受けるより仕方ない。そういうふうに自分の孤独を自分のものとして自分の身で処理している姿が、使い古された言葉かもしれないですが、やっぱり粋だなと思うのです。

 『百日紅』で描かれる江戸の人々は、とても自由に見えます。実際は絶対的権力者もいるし、法律もあるし、身分もあるし、決して何もかもが自由というわけじゃありません。にもかかわらず、言論の自由も思想信条の自由も世界中好きなところへ行ける自由もある現代の日本人より、彼らの方が自由というものを存分に満喫しているように見えます。それは彼ら一人一人が、自由に伴う責任をちゃんと背負える本当の意味での大人だからなのでしょう。だからこそ、彼らはけっこうマイペースに生きてますが、ゆるさやテキトーさとは違って、見ていて胸がすくような気持ちの良さを感じずにはいられません。

 まだお読みでない方は、映画の方もいいですが、ぜひ『百日紅』を手に取ってみて下さい。


:記事内の絵は、杉浦日向子著『百日紅(上)』(筑摩書房、1996年12月)から引用させていただきました。

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by hitsujigusa | 2015-04-13 03:01 | 漫画