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小川洋子『凍りついた香り』―“死”を巡る心の軌跡

凍りついた香り (幻冬舎文庫)


【あらすじ】
 ある日、フリーライターの涼子の元に恋人で調香師の弘之が無水エタノールを飲んで自殺したという連絡が入る。弘之が死んで初めて、弟と母親が存在すること、スケートが上手いこと、数学の天才だったことなど、彼の隠された過去を涼子は知る。しかし、肝心の自殺した理由に関しては何一つわからない。弘之が高校生の頃、プラハで開催された数学コンテストに参加していたことを知った涼子は、弘之のことをもっと深く知るため、自ら死を選んだ手掛かりを探るため、プラハを訪れるが――。


 まだまだ夏の名残りが漂う今日この頃ですが、9月も最終盤となり、いよいよ秋本番の10月を迎えようとしています。その10月の最初の日、10月1日はさまざまな事物の記念日となっていますが、日本フレグランス協会が定めた香水の日でもあります。ということで、香水の日を記念して、香水が重要なモチーフとなる小川洋子さんの小説『凍りついた香り』を紹介します。
 『凍りついた香り』は恋人の自殺を発端に、主人公の女性が恋人の過去を訪ね、恋人が生きていた頃は知ることができなかった秘密に迫る物語です。小川さんの長編小説としてはさほど多くない恋愛を主題とした作品ですが、にもかかわらず生きている恋人との恋愛模様を描いたものではなく、死んだ恋人の足跡を追う、いわば死から始まる物語という点が、“失われしもの”を描く作家・小川洋子らしいところです。

 物語の語り手となるのはフリーライターの仕事をしている女性・涼子ですが、物語全編に渡って最も色濃く存在感を示しているのは凉子の自殺した恋人・弘之です。弘之は凉子や弘之の弟・彰、兄弟の母親など、人々の記憶や語られる思い出の中にしか登場しません。もちろん弘之本人の気持ちや想いが描写されることもありません。ですが、だからこそ、弘之を巡る人々の言葉から、弘之を失った悲しみ、なぜ自殺したのかという苦悩、それでも抑えきれない愛情が溢れんばかりに滲み出ていて、弘之という一人の人間が生きていたという実感、死んでしまったという取り返しのつかない空洞を、ありありと浮き上がらせています。
 そんな弘之を形作るキーワードとして登場するいくつかのモチーフが、物語の進行の上でも、彩りを添えるという点においても、重要な役割を果たします。
 最も重要なキーワードは何といってもタイトルにもなっている“香り”です。
 まず特筆すべきことは弘之が調香師であるということ。調香師という職業の人に、日常生活の中で私たちはなかなかお目にかかれません。普段どういった形で仕事をしているのか、業務内容はどういったものになるのか、調香師に関する多くの事実は雲に隠れています。“香り”そのものも実に不思議なものです。嗅覚は視覚や聴覚などと同等に大切な感覚の一つですが、そのわりに視覚や聴覚などと比べると扱いとしては低いように思われます。たとえば視覚なら失明は言うまでもなく、少し見えにくくなるだけでも人生を左右しかねない重大事ですし、聴覚にしても音が聞こえなくなる、聞こえにくくなるというのはやはり日常生活を脅かす出来事でしょう。ですが、嗅覚の場合、鼻が詰まったりなんかしてにおいが感じづらくなるなんてことは誰でも一度は経験することですし、多少鼻が利かないからといって大騒ぎする人もいないでしょう。そんなふうに嗅覚に関すること、においに鈍感であるとか敏感であるということは何となく軽視されているというか、その人を形成する上で大して重要視されない要素と言えます。そうした“香り”という非常に曖昧なものを専門的に取り扱う弘之という人物も、ミステリアスでつかみどころのない人間であるという雰囲気が、ほかの職業であるよりもいっそう強く感じられるのではないでしょうか。
 そして弘之を語る上でもう一つ欠かせないキーワードが、“数学”です。小川洋子作品で数学といって誰もが真っ先に思い浮かべるのは、『博士の愛した数式』でしょう。『凍りついた香り』はそれより5年ほど前の作品ですが、すでに『博士の愛した数式』の“博士”の面影が弘之からうかがえます。
 しかし、“博士”が年老いても数学を愛し数学と向き合い続けたのに対し、弘之は幼少時からたまたま天才的な数学の才能を持っていたために、母親に半ば強引にありとあらゆる数学の大会に出場させられたという隠したい過去を抱え、にもかかわらず日常のなにげない場面で突発的に数式が思い浮かんでしまうというジレンマもあり、“数学”は弘之にとって苦々しい存在として描かれます。
 一方で、自ら職業として選択した“香り”に関しても、異常なまでににおいに敏感でこだわりを持つがゆえに、涼子へのプレゼントとして自ら調香した香水“記憶の泉”を贈るといったポジティブな方向に働くこともあれば、キッチンの調味料のにおいが気になってそれぞれの位置を並び替えようとするといった強迫観念的な方向に働くこともあり、“香り”は弘之にとって必ずしも幸福を与えてくれるだけの存在とはなっていません。
 作中で弘之について病気や障害などの言及はありませんが、特定の物事に過剰にこだわる姿からはアスペルガー症候群的な印象を受けます。才能をうまく活かせれば自らの強みとすることもできる一方で、その度合いが極端すぎると心の負担となり自らを縛りつける鎖にもなる。“香り”と“数学”は単なる物語の小道具ではなく、弘之の死の鍵を握るモチーフとして、物語のそこここに色濃く影を落とします。

 ここまで読まれた方はどれだけ暗い話かと思われるかもしれませんが、確かに“死”を描いた小説なので決して明るい話ではないですが、かといって絶望を描いた話でもありません。むしろ主人公にとっての“救済”の物語です。
 弘之に関する描写の多さに比べ、主人公である涼子についての描写はそう多くありません(涼子自身が語り手なのだから当たり前ですが)。また、弘之に対する心情描写が主で、涼子が自分自身に対してどう思うとかどう感じるといった描写もあまりありません。涼子にとって弘之を失った世界も自分自身も手触りを失い、弘之に関すること以外は意味を持たないからです。ゆえに、何をしても何を見ても弘之と関連付けてしまうという場面がたびたび描かれます。


 橋に敷き詰められた石はどれも黒ずみ、すり減っていた。この石のどれかを、弘之も踏んだに違いない。プラハに来てからずっと、私はそうした思いから逃れることができないでいた。このドアノブをルーキーも握ったかもしれない。このテラスでコーヒーを飲みながら、広場の鳩を眺めたかもしれない。この通りで、カーブしてゆくトラムのブレーキ音を聞いたかもしれない。


 大切な人を突然失った虚無感が、決して声高ではなく、染み渡るような切なさを伴ったリアルな言葉で書かれ、ひしひしと迫ってきます。
 小川さんは著書『物語の役割』の中で、“物語”についてこう述べています。


 たとえば、非常に受け入れがたい困難な現実にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。


 涼子もまた、弘之の死を受け入れ、乗り越え、現実を生きていくために、自分なりの物語を無意識に作ろうとします。そして、かつて弘之が訪れ、弘之にとって契機となる時間を過ごした街、プラハを訪れ、弘之の足跡をたどります。
 恋人の自殺の理由を探るストーリーというと、ショッキングで生々しい内容を想像される方もいるやもしれませんが、この作品は謎解き的要素もしっかり盛り込みつつ、あくまで一人の人間が自ら死を選ぶまでの心の軌跡、そして残された人々がその死を受け入れるまでの心の軌跡に寄り添った物語となっています。その一環として、涼子のロードムービーになっていることが大きなポイントかと思います。
 ロードムービーというと小説にしても映画にしてもいろんな名作がありますが、大半はハッピーというよりも、何かしらの問題を抱えて旅するという話が多いような気がします。実際に自分の足で未知の場所を旅するという体の動きの変化が、心の動きの変化にも繋がるのでしょうか。プラハを旅する涼子の心にも徐々に変化が訪れますが、読み手からすると美しいプラハの風景描写がこの小説の一つの見どころにもなっていて引きつけられます。


 突然彼が外を指差した。私ははっとして窓ガラスに顔を寄せた。いつの間にかヴルダヴァ川が姿をあらわしていた。幅の広い静かな流れが闇に溶け込み、その前方にはカレル橋が横たわり、さらにそれを見下ろすように、丘の頂きにプラハ城がそびえていた。
 橋と城は特別な光で照らされていた。派手な照明ではないのに、塔に施されたこまやかな飾りや、欄干に並ぶ聖像の輪郭がくっきりと浮かび上がって見えた。そこだけが闇も届かない宙の深いところから、すくい取られてきた風景のようだった。



 同じヨーロッパでも、パリでもなければロンドンでもなくなぜプラハなのか。その確かな理由は定かではありませんが、プラハという街が持つ特性――街の大きさ(大きすぎない)、人口(多すぎない)、知名度(それなりに有名)、歴史や文化(パリやロンドンに引けを取らない)、芸術性(音楽の都)――がこの物語にはちょうど好いサイズ感であり手触りであり温度だったのでしょう。特に印象的なのは静けさ。特別プラハの街が静かだとか描写されてるわけではないですが、中世から続く古い街並みから醸し出される空気感と、恋人の死と向き合う主人公の心の空虚さとがぴたりと合わさって、“死”を描く物語にふさわしい静けさが全てを包み込んでいるように思います。

 物語の最終盤、涼子は弘之が参加した数学コンテストにまつわる一つの真実にたどり着きますが、だからといって弘之の自殺の理由が暴かれるわけでも、涼子が劇的に救われるわけでもありません。しかし、涼子は自分の足でプラハを巡り、弘之の過去に触れたことで、ようやく弘之の死を実感として受け入れます。まさにそれが、小川さんの云う、“自分の物語を作る”ということで、その哀しく、切実であり、美しくもある道のりを描いたこの小説は、現実の“死”と向き合わなければならない全ての人に当てはまる普遍的な作品なんじゃないかと思います。


:記事内の引用文の青字の部分は、小川洋子著『凍りついた香り』(幻冬舎、2001年8月)から、緑字の部分は、小川洋子著『物語の役割』(筑摩書房、2007年2月)から引用させていただきました。

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家族を描いた小説・私的10撰 2014年6月5日  記事内で小川洋子氏の『ミーナの行進』を取り上げています。
『それでも三月は、また』―2011年の記憶 2016年3月9日  記事内で取り上げている短編集に小川洋子氏の短編「夜泣き帽子」が収録されています。


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by hitsujigusa | 2016-09-30 02:27 | 小説