浅田真央選手、現役引退を発表

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 2017年4月10日、浅田真央選手が自身のブログで現役引退を発表し、12日には記者会見を開き引退についての思いを語りました。

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浅田真央、尊敬を集めた演技と人間性 引退後も語り継がれる希代のスケーター

 浅田真央(中京大)が10日、自身のブログで引退を表明した。現在26歳、言わずと知れた日本フィギュアスケート界の中心的な存在だ。多くの尊敬と注目を集め、人々を魅了し続けたアスリート。そんな彼女との別れは突然やってきた。

 信じ難い気持ちだった。12位と自己最低の結果に終わった昨年末の全日本選手権では、現役続行か否かを問われ、前向きな姿勢を見せていたからだ。ましてや来年には、自身の最終目標としていた平昌五輪が行われる。少なくとも来季までは競技を続けると思われていた。だからこそ突然の幕引きに驚きを禁じえなかった。

 「ソチ五輪シーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終えることができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からないこともたくさんありました」

 2014年3月の世界選手権は、ショートプログラム(SP)で当時の世界歴代最高得点(78.66点)を更新するなど圧巻の演技で優勝。しかし、1年間の休養から復帰した15−16シーズン以降、彼女は満足いく内容・結果を得られず苦しんでいた。ブログでつづっているように、実際に再び競技生活を歩んだからこそ、未練なく今回の決断に至ることができたのだろう。


スポーツナビ 2017年4月11日 10:35 一部抜粋

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真央、会見の最後に涙 引退決意は2月「フィギュアスケートに恩返しできる活動を」

 10日に自身のブログでの突然の引退発表となったが、自己ワーストの12位に終わった昨年末の全日本選手権後には引退を考え始めていたという。それでも「自分が復帰してからずっと掲げてきた平昌オリンピックに出るという目標があったので、やり遂げないといけないと思っていた。言ってしまったことへの葛藤はすごいありました」。ただ、6位だった14年のソチ五輪後、1年間ほど休養し、現役復帰した決断については「気持ちも体も自分の気力も全部出し切ったので、今は挑戦して何も悔いはないです」とすっきりした表情で語った。

 また、3月の世界選手権で日本が五輪出場権を3枠獲得できず、2枠となったことで代表争いが厳しさを増したが「目標をやめてしまう自分が許せるのかな? 許せないのかな? と思いながら過ごしてきて、最終的に話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したというわけではなく、自分自身が最後決めること」と判断には影響しなかったという。

 引退後の初滑りは7月のアイスショーとなることも明言。今後については「どんな形でもフィギュアスケートに恩返しできる活動をしていきたい」と語った。

 質問を受けている間はずっと笑顔の浅田だったが、会見の最後の挨拶でこらえきれずに涙。カメラに背を向け、涙をぬぐいながら笑顔を見せていた。


スポーツ報知 2017年4月12日 12:25 一部抜粋

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 4月10日の23時前、テレビのニュース速報でこの一報を知り、すぐに浅田選手引退についての記事を書こうかと思い、実際に書き始めましたが、いざとなると何をどう書いていいのかわからず、また、12日に記者会見を行うということで、その会見を見て浅田選手の生の声を聞いて、自分の考えをまとめてから記事にしようと思い直し、引退発表から5日も経ってからの記事アップになりました。

 ここからは私の個人的な話になりますが、私が浅田選手を初めて知ったのはシニアデビューシーズンのグランプリシリーズ。それまでも小学6年生でのトリプルアクセルの成功やシニアの全日本選手権での活躍、世界ジュニア選手権優勝などすでにフィギュアスケート界では知る人のいない有名人になっていたと思いますが、そもそもフィギュアスケートという競技自体知らなかった私は浅田選手のことも知らず。しかしシニアデビューのGP中国大会でいきなり2位に入ると、2戦目のフランス大会では優勝、そして世界の猛者が集うGPファイナルでは当時の世界女王イリーナ・スルツカヤさんを破っての優勝という快挙を成し遂げ、一気に報道は過熱、テレビを始めとしたメディアでの露出も増えていきました。そうした中で私も“浅田真央”という存在を知り、同学年の少女が一躍スターに上り詰めていくさまを、ただただ驚き、感動し、単純に凄いという気持ちでテレビの前で見ていました。そして、“浅田真央”との出会いが、“フィギュアスケート”との出会いでもありました。

 今までこのブログでも幾度となく浅田選手に関する文章を書いてきて、できるだけほかの選手と温度差が出ないようにと気をつけて書いてきたつもりですが、やはり浅田選手に対する特別な思い入れというのがあり、なかなか気持ちは隠し切れなかったように思います。なぜ自分が彼女にそこまで引きつけられたのか、なぜ当時活躍していたほかの日本の女子選手ではなく浅田選手だったのかと考えると、やはり同い年というのは一番大きな理由で、自分と同い年の可愛い女の子がもの凄いジャンプを跳んでいるというインパクトの強烈さから惹かれたのだと思いますが、その最初のインパクトだけで終わらず、その後もずっと浅田選手に惹かれ続けた理由は何だろうと思うと、自分にフィギュアスケートの魅力を最初に教えてくれたのが浅田選手だからというのは後付けの理由に過ぎなくて、やはり彼女が氷の上で見せる演技、表情の豊かさ、また、演技やインタビューなどから滲み出る人間性に魅了されたというのが本質的な理由なのかなと思います。
 そして、それは私だけではなく、多くの人にとっても同じなのではないでしょうか。「フィギュアスケートはその人の生きざまを見せるもの」と言ったのは浅田選手の亡き母・匡子さんですが、まさに浅田選手は氷の上で“浅田真央”という人間の生きざまを見せつけ、それが境遇や世代を超えていろんな人々の心に響いたということなのではないかと思います。

 “浅田真央”というフィギュアスケーターの特徴や魅力については、何といってもトリプルアクセルという女子では数人しか成功させていないジャンプを武器に戦ったという特異性が挙げられますし、そのほかにもさまざまな技術面や表現面での彼女にしかない魅力というのは多々あるのですが、“生きざま”という点に絞って考えてみると、まずは“両面性”というのが重要なポイントかなと感じます。
 浅田選手の両面性、それは“強さ”と“弱さ”です。浅田選手のジュニア時代から引退までの成績を振り返ると、ジュニアGPファイナル優勝、世界ジュニア選手権優勝、6度の全日本選手権優勝、4度のGPファイナル優勝、3度の世界選手権優勝、バンクーバー五輪銀メダルと、日本のみならず、世界のフィギュアスケート史にも残る華々しい経歴を残しているわけですが、しかしその数々の勝利のシーンと同じくらいかそれ以上に強烈な印象を残したのは、失敗から立ち上がる姿でした。
 その印象を最初に強烈に植えつけられたのは初出場となった2007年の世界選手権。金メダルを期待されて臨んだショートプログラム、得点源となる3フリップ+3ループの3ループが1回転になるミスがあり5位。首位とは約10点差、3位までも約5点差と、優勝どころか表彰台に向けても厳しい船出となりました。しかしフリーはトリプルアクセルを含め全てのジャンプを予定どおりに着氷する会心の演技。優勝には僅差で届きませんでしたが、驚異的な追い上げで銀メダルを獲得しました。
 さらに驚かされたのは翌年の世界選手権のフリー。冒頭のトリプルアクセル、軌道に入り跳ぼうとした瞬間にスケート靴のエッジが氷の溝にはまり激しく転倒。誰もが優勝を諦めるような衝撃的なシーンでしたが、浅田選手はすぐに立ち上がると、3フリップ+3トゥループを完璧に着氷。その後も高難度の3フリップ+3ループ含め全てのジャンプを目立ったミスなく下り、初の世界女王に輝きました。
 そして迎えたバンクーバー五輪シーズンでしたが、浅田選手はそれまでにないほどのジャンプの不調に陥り、シニアに上がって初めてGPファイナル進出も逃すというオリンピックに向けて不安の残る演技が続きました。ですが、オリンピックではショート、フリー合わせて3本のトリプルアクセルを全てクリーンに成功させる史上初の偉業を達成し、銀メダルを獲得。
 11/12シーズンは母・匡子さんが浅田選手が出場予定であったGPファイナル直前に死去。その直後の全日本選手権は欠場も予想される中、短期間の調整で出場。身体的にも精神的にも難しい状況でしたが全力を尽くした演技で見事に優勝。
 スケート人生の集大成として臨んだソチ五輪。SPは全ジャンプを失敗というまさかの演技で16位。そして今や伝説となったフリー、練習でもほとんど決まっていなかったトリプルアクセルを冒頭で下りると、その後は怒濤の勢いで全てのジャンプを着氷させる鬼気迫る滑りを見せ総合6位となりました。
 1年の休養から復帰した15/16シーズン。復帰初戦のジャパンオープン、GP中国大会と上々のスタートを切ったものの、2戦目のNHK杯、GPファイナルと不振が続き、全日本選手権もSP5位と出遅れ。しかし引退覚悟で迎えたフリーはミスを最小限にまとめて3位と表彰台に上って世界選手権の切符を手にし、その世界選手権も左膝痛の影響もありSPはミスが相次いで9位となりましたが、フリーはトリプルアクセル、3フリップ+3ループなど、ほとんどのジャンプを大きなミスなく着氷させて笑顔でシーズンを締めくくりました。
 こうして浅田選手が辿ってきた道を振り返ると、やはり思い起こすのは順風満帆にうまくいったシーズンや試合よりも、何か失敗や困難にぶつかりながらもそれを乗り越えた場面の方が強く印象に残っていて、失敗しては立ち上がり、失敗しては立ち上がりというのを、誰よりも繰り返し繰り返ししぶとく粘り強く積み重ねてきた選手なんだと改めて思います。
 浅田選手より安定感のある選手はいます。ライバルとして現役時代比較され続けたキム・ヨナさんはシニア参戦以降は出場した全ての試合で表彰台に上り、2度のオリンピックで2度ともメダルを獲得していますし、羽生結弦選手も優勝したソチ五輪後はほとんどの試合で1位もしくは2位という圧倒的な安定感を誇っています。そういった選手たちと比べると浅田選手は、女子には非常に難しくリスクの高いトリプルアクセルに挑み続けたということもあって、決して安定感抜群の選手だったとは言えません。しかし、そんな失敗の場面をたびたび見せてきたとしても、彼女が私(や多くのファン)を惹きつけてやまなかったのは、彼女が最後には必ず立ち上がって笑顔を見せてくれたからです。もちろん滅多にミスをしないタイプの選手にも魅力はあります。ですが、普通の人々の人生は成功よりも失敗の数の方が多いものです。だからこそアスリートが失敗をした時や厳しい状況に見舞われた時にどう乗り越えるかという部分に関心が集まります。そういった意味で、何度も失敗し、でもそのたびに立ち上がり、そしてまた挑戦してという浅田選手の生きざまは、たくさんの失敗を繰り返すという“弱さ”の点では私のような凡人にも重なる部分があり、一方で立ち上がる姿からは自分自身では考えられない尋常ならざる“強さ”を感じさせて、そうした両面のギャップが、毎回ハラハラドキドキさせられながらも心をとらえて離さない浅田選手特有の不思議な魅力だったのかなと今では思います。

 そんな特別な魅力を放った浅田選手に惹きつけられたのは、一般のファンだけではなく現役選手、元選手も同じでした。日本国内の同じ時代をともに戦い抜いた戦友たちのみならず、たくさんの後輩選手たち、さらには海外の選手や元選手たちも浅田選手の引退に際して次々とコメントを寄せました。それは浅田選手が築いてきた功績や素晴らしい技術、演技に対する尊敬もあるでしょうが、やはり彼女が氷上で見せてきた生きざまが同じスケーターたちでさえも魅了し、これだけフィギュアスケート界の中でも尊敬を集め愛される選手になったということなのだろうと思います。
 それだけ慕われる一方で、浅田選手ほど孤高の選手もいなかったのではないでしょうか。子どもの頃から注目され続け、常に優勝することを求められる。そういうアスリート自体が日本全体を見回しても卓球の福原愛選手くらいしかいないですし、さらには浅田選手の場合、女子では跳ぶ人のほとんどいないトリプルアクセルを10年以上に渡って跳び続けるという後にも先にも例のない試みを続けてきた唯一無二の選手でもあって、同じフィギュアスケーターでも悩みや経験を共有できない、本当に孤独な道を歩んできたのではないかと思います。
 12日の引退会見でもトリプルアクセルに関連する応答はいくつかあり、浅田選手自身トリプルアクセルについて「自分の強さでもあった」とする一方で、「悩まされた」と本音もこぼしました。また、小学6年生の時に参加した新人発掘のための“野辺山合宿”で、トリプルアクセルを跳ぶと目標を定めて臨んで実際に初成功させたというエピソードも披露しました。トリプルアクセルというのを戦略として考えるなら、回避してほかの女子選手同様に3+3の完成度を高める方向で行った方が戦略的には賢いのかもしれませんし、成績ももっと安定したかもしれません。特に佐藤信夫コーチが就任した10/11シーズン以降は浅田選手も20代に突入してますますトリプルアクセルを跳ぶのは身体的にきつくなっていったと思うのですが、技術を基礎から見直している時期に一時的に構成から外していた時を除けば変わらずトリプルアクセルを跳び続け、佐藤コーチに回避を勧められても自分の意志を最後まで曲げなかったというのは、やはり最初に目標を達成した原体験というのがトリプルアクセルであったという強烈な記憶と忘れがたい喜びが大人になっても浅田選手の中に根付いていたということなのでしょう。もちろん浅田選手はトリプルアクセルだけの選手ではなかったですし、むしろ年齢を重ねるほどジャンプ以外の部分の技術や表現もそれまで以上に強化されていきました。しかしそれでもトリプルアクセルは彼女にとって切っても切り離せない相棒のようなものであり、“浅田真央”を“浅田真央”たらしめている最大の要素がトリプルアクセルであったことは間違いなく、たとえトリプルアクセルを外して試合に臨んで金メダルの数が増えていたとしても、それは浅田選手にとってはあまり意味のない勝利だったのではないかと思いますね。

 そんな浅田選手のラストダンスとなった昨年末の全日本選手権。左膝の負傷の影響でGPシリーズでは回避していたトリプルアクセルをショート、フリーともに組み込み、残念ながら成功には至りませんでしたが、演技後の表情からは納得感が滲み出ていました。ですが、まさかそれが最後の演技になるとは露ほども思わず、左膝痛さえ癒えればまだまだ世界のトップレベルで競えると感じていたので、平昌五輪まで1年を切ったこのタイミングでの引退発表は予想外で驚きました。
 浅田選手は引退の理由について自身のブログで「去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました」と綴り、記者会見でも「体も気力も全部出し切った」「悔いはない」と明るく語りました。上述したように、幾度となく困難を乗り越えてきた浅田選手なので、今回の自分の身体との戦いもきっと乗り越えてくれるだろうと勝手に期待してしまっていたのですが、それ以上に浅田選手をそれまで支えていたほとばしるような情熱がもう消えてしまったんだなということにブログの文面や会見での言葉から気づかされましたね。その発端となったのは体の不調かもしれませんが、今回の会見でも怪我に関することを一度も口にしなかったように、フィジカル的な問題があってもそれを表に出すことなく強い気持ちで乗り越えてきたのが“浅田真央”というアスリートなので、その気持ち自体がなくなってしまうと、やはり競技者として続けていくのは難しいんだろうなと感じました。
 浅田選手の引退に際して心残りがあるとすれば、できることなら最後の演技が満面の笑みで終われれば最高だったなとは思います。ただ、最後の試合でもトリプルアクセルを跳んだというのは、浅田選手自身が会見でおっしゃっていたように浅田選手らしかったなと思いますし、最後の最後まで“浅田真央らしさ”を貫き通した姿はただただかっこよく、順位や点数は関係なく、私が知っている“浅田真央”の姿そのものだったなと思います。

 浅田選手についてここまで綴ってきて、いろんなシーンが走馬灯のように思い出されるのですが、やはり一番印象深いのは笑顔です。特にソチ五輪のフリーは、フィニッシュのポーズから解き放たれた瞬間にさまざまな想いが詰まった大粒の涙を流し、それでもパッと顔を上げて見せた涙まじりの笑顔というのは、どうしてあの状況であんなに笑えるんだろうと不思議なくらいの美しい笑顔で、目に焼きついて離れません。そして、今回の引退会見の最後、司会者から挨拶を促されて最初は笑顔で話していたのが、途中で感極まったのか言葉に詰まり涙をこらえようとしばらく黙り、それでも涙が流れそうだったのか記者やカメラに10秒ほど背を向けました。しかし再び前に向き直った浅田選手の表情は笑顔で、先ほどの言葉の続きを述べ、また途中で想いが溢れて涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえて数秒だけ後ろを向いて指先で涙を拭い、最後はいつもどおりの“真央スマイル”で感謝の言葉で会見を締めくくり、会場を後にしました。まるで涙から笑顔にパッと変わったソチ五輪のフリーと重なるシーンで、会見でさえも最後まで浅田選手らしい“生きざま”を見せてくれましたね。
 その笑顔にこちらが逆に励まされ、元気づけられ、思わず顔がほころんでしまったのと同時に、私のようなファンが浅田選手に笑顔でいることを自分勝手に期待して強いてしまっていたのではないかという気もして申し訳なくも思いました。ただ、いつの時も浅田選手の笑顔というのは誰かから強いられたり求められたりしたものではなく、もちろん笑顔を作ることを意識しなければいけない場面もあったとは思うのですが、それでもその笑顔は作り物ではなく浅田選手の心の中から自然と生まれた笑顔で、見ているこちらにも気持ちが伝わってくるようなありのままの笑顔で、だからこそこれだけの国民的なアスリートになったのかなと思いますね。

 またもや個人的な話になってしまいますが、私にとって浅田選手はフィギュアスケートを見るきっかけを与えてくれた選手であり、“フィギュアスケート=浅田真央”といっても過言ではありません。なので、浅田選手がいないフィギュア界をまだ想像できないのですが、浅田選手が築いたものは確実に今後の若い選手たちが引き継いでいくでしょうし、“浅田真央”のDNAとでもいうべきものは日本のフィギュア界に目に見える形でも見えない形でも受け継がれていくでしょう。
 ですが、浅田選手のような選手はもう二度と現れないのではないかと思います。ジャンプだけなら浅田選手よりうまい選手が出てくる可能性はいくらでもありますし、浅田選手の記録や偉業もいつかは塗り替えられていくでしょう。ですが、ジャンプ、スピン、ステップ、スケーティング、表現、そして氷上での佇まいの全てをそなえた、総合芸術としてのフィギュアスケートを体現する存在として、浅田選手以上の選手は、私にとっては今後現れることはないと思います。
 正直寂しい気持ちが消えることはないですが、今はただ浅田選手が見せてくれた数々の名演技に感謝するとともに、“浅田真央”という人生の新たな章の始まりにおめでとうと言いたい気持ちですね。引退しても浅田選手にとってフィギュアスケートはかけがえのないものであり続けるでしょうし、7月には座長を務める「THE ICE」もあるので、これからもフィギュアスケーターとして大好きなフィギュアスケートを追求してほしいと思います。もちろん、フィギュアスケート以外にもどんどん興味を広げていって、フィギュアスケート以上に夢中になれるものが見つかれば、それも幸せなことだと思いますので、どんな形であれ浅田選手の今後の人生が幸多く、笑顔に溢れたものになることを願っています。
 21年間の選手生活、お疲れさまでした。そして、今までありがとうございました。


:浅田選手の写真は、デイリースポーツのニュースサイトが2017年4月12日に配信した記事「真央、五輪出場枠「3」→「2」は引退の理由じゃない 決断「2月だった」」から引用、文中の浅田匡子さんの言葉はスポーツ誌「Number」の公式サイトが2011年12月26日の11:50に配信したコラム記事「母と一緒に滑った浅田が全日本でV。男子は最強の世界選手権代表トリオ。」を参考にさせていただきました。
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by hitsujigusa | 2017-04-15 00:52 | フィギュアスケート(大会関連) | Trackback | Comments(0)