妊娠カレンダー (文春文庫)


【収録作】
「妊娠カレンダー」
「ドミトリイ」
「夕暮れの給食室と雨のプール」


表題作は第104回芥川賞受賞作。妊娠した姉を巡るさまざまな出来事や妹の心の揺れを描いた作品。“妊娠”という一般的にはめでたいこと、祝福されるべきことをまた違った角度からとらえていて、怪談のような怖ささえ感じる。
が、ただいま梅雨真っ只中ということで、今回は“雨”が印象的な他2作、「ドミトリイ」「夕暮れの給食室と雨のプール」をピックアップ。

「ドミトリイ」は、「わたし」の元にいとこの青年から電話がかかってくることから始まる。大学生になるいとこは、主人公が昔入っていた学生寮に自分も入りたいのだと言う。その古く独特な雰囲気の学生寮には、両手と片足がない先生が住んでいて……という話。
「夕暮れの給食室と雨のプール」は結婚のために中古の家に引っ越した「わたし」が、ある不思議な親子と出会う話。父親は宗教の勧誘員のようだが、それにしては強引さもない上に幼い子どもを連れている。主人公は何となく惹きつけられて……。

「ドミトリイ」は音が重要なモチーフとして登場する。その中で、“蜜蜂の羽音”そして“雨音”が印象的に描写されている。
たとえばこの場面。

その静けさの中で、不意に何かが鼓膜を揺らした。蜜蜂だ、とわたしはすぐに分った。それは強くなったり弱くなったりせず、同じ波長で一直線に響いていた。辛抱強く耳の奥に気持ちを集中させていると、羽がこすれ合う時のかすれるような音も確かに聞くことができた。雨の音はそれと交わることのない、ずっと底の方で淀んでいた。(小川洋子「ドミトリイ」『妊娠カレンダー』文藝春秋、1994年2月、142頁)

通奏低音のように、という使い古された言葉がまさにあてはまるだろうか。しとしと降り続ける雨の音が低く鳴り続け、羽音を際立たせる。
雨の音が醸し出す静けさがよく表現されている。そして、この独特の静けさが作品全体の底に流れて、静謐な雰囲気を作り出している。

一方、「夕暮れの給食室と雨のプール」では、視覚的、皮膚感覚的な雨が描かれる。
作品冒頭では、雨ではないが、印象的な“霧”が描写される。

霧はゆっくりうねりながら、一つの方向へ流れていた。それは風景をすっぽり包み込んでしまうような息苦しい霧ではなく、透明な清らかさを持っていた。手をのばすと、その薄くてひんやりしたベールの感触を味わうことができそうだった。(「夕暮れの給食室と雨のプール」、同書、151頁)

同じ霧でも、皮膚にまとわりつくようなじめっとした霧と清々しさのある優しい霧とは違う。その微妙な違いを視覚、皮膚感覚で表現し、読者にイメージさせる。

そして物語の重要なモチーフとなるのが“雨のプール”である。

そして雨が降ると、プールの風景はもう救いようがなくなってしまいます。プールサイドに落ちる雨はいつまでたっても乾かず、くすんだ染みになって残っている。プールの表面は一面、雨粒が作り出す水模様のせいで、無数の小魚が餌を欲しがってうごめいているみたいに見える。(「夕暮れの給食室と雨のプール」、同書、178頁)

水の張ったプールに雨が降り注ぐという日常的な光景が、無数の小魚がうごめくという非日常的な光景と重ね合わせられている。一見共通点のなさそうなふたつの光景だが、無数の小魚が餌を求めて動く感じ、跳ねる感じというのが、確かに雨粒が水面に打ち付ける感じと似ている。ただ雨が水面に打ち付けると書くよりも、小魚がうごめいていると書くほうが“映像”としてイメージしやすい。全く異なる光景を持ってくることで、雨がプールに降り注ぐイメージを“映像”として視覚に訴えている。
この作品に限らず、小川洋子氏の文章は視覚的、映像的なのだが、小川氏自身もこう語っている。

私の場合は、小説のある場面が頭に浮かんできまして、それは非常に鮮やかなんです。今、脳みそから取り出してきて皆さんにお見せできたらどんなにいいだろうというぐらい、ものすごくリアルで、色もあるし、風もあるし、人も動いていますし、言葉を発しているし、生々しいものなんです。(小川洋子『小川洋子対話集』幻冬舎、2007年1月、135頁)

また、ギャップの効果もある。無数の小魚がうごめいているという、ある意味気持ち悪い映像を想像させることで、単なる雨の風景でさえ非日常的ひいては非現実的・幻想的な風景になる。普通の日常を書いた小説でも、どことなくファンタジック(ゴシック)になるのはこうした効果だろう。

聴覚、皮膚感覚そして視覚と、さまざまな感覚で“雨”を感じることのできる短編2作。この季節に、ぜひ。


【ブログ内関連記事】
小川洋子『アンネ・フランクの記憶』―アウシュヴィッツと零戦 2013年7月25日
小川洋子『博士の愛した数式』―フィクションと現実の邂逅 2014年3月14日
家族を描いた小説・私的10撰 2014年6月5日  記事内で小川洋子氏の『ミーナの行進』を取り上げています。
『それでも三月は、また』―2011年の記憶 2016年3月9日  記事内で取り上げている短編集に小川洋子氏の短編「夜泣き帽子」が収録されています。
小川洋子『凍りついた香り』―“死”を巡る心の軌跡 2016年9月30日


妊娠カレンダー (文春文庫)
小川 洋子
文藝春秋
売り上げランキング: 136,922

[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-29 00:27 | 小説 | Trackback | Comments(0)

もしもしニコラ! (fukkan.com)


【あらすじ】
パリのアパートに住む女の子リーズ。ある夜、お父さんは夜警、お母さんは看護師で夜勤のため、一人で留守番することに。ベッドの中で怖くなってきたリーズは枕元の電話に手を伸ばし、適当にダイヤルを回す。すると、ノルマンディーのラ・モワヌリーに住む男の子ニコラにつながり……。


『もしもしニコラ!』は1975年にあかね書房から出版されたが、その後絶版に。が、絶版の本を投票で復刊させるリクエストサイト「復刊ドットコム」に寄せられたリクエストによって2005年に復刊した。
特に有名というわけでもない、作者も日本ではほとんど知られていないが、こうして復刊したということはそれだけ多くの人の心に残る作品だったということなのだろう。
かくいう私も、小学生の頃読んだきりだったがなんとなく気になり続けていて、数年前検索して復刊したことを知った。

いちばん私の印象に残っているのは、主人公リーズの暮らしぶり。生粋のパリッ子であるリーズの生活は、とにかくおしゃれでかわいくて素敵なものに子どもの目には映った。
そもそも、子ども部屋のベッドの枕元に電話があるということ自体が信じられなかった。今なら携帯やスマホを持っている小学生も多いが、私が子どもの頃はまだなじみがなかったし、現代だって子どもが自分だけの固定電話を持っているというのは珍しい。(というか携帯があれば必要ないのだけど)
そしてリーズの日常場面。学校から帰ってすぐお母さんとケーキを作ったり、種屋に種を買いに行ったり、泡風呂に入ったり(しかも風呂あがりはバスローブを着る)。
こうしたいろんな日常の風景がとても新鮮で、こんな生活をしたいとパリに憧れた。
また、話の合間にはさまれているパリの風景描写も憧れの気持ちを強めた。
たとえばこんな場面。

 くしゃくしゃの髪、眠くてはれぼったい顔をしたリーズは、窓ガラスを流れるしずくのあとを指でたどっています。パリは、灰色。明るい色や、暗い色、楽しげなのや悲しげな色のいろいろなかさが、雨に光る歩道に舞っています。(ジャニーヌ・シャルドネ『もしもしニコラ!』ブッキング、2005年2月、88頁)

 通りにでると、いそがしそうな人たちが、せかせか歩いています。この人たちには、プラタナスにいるすずめたちのなき声も聞こえないのかしら? 木の葉は、すずめのはばたきで、サワサワと音をたてています。雲間からさしこむ太陽の光が、楽しそうに、鳥たちとたわむれていました。空気は、しぼりたてのレモネードみたいに、はだにさわやかに感じられます。(同書、109頁)

パリの空気が伝わってくる文章で、パリという街の美しさが描き出されていると思う。
もうひとつ重要なのが、主な舞台となっているアパート。アパートと言ってもいわゆるアパルトマンのことで、古く歴史のある建物という感じがよく表れている。きれいというのではなく、古さゆえの独特の暗みや静けさである。物語の始まりも、夜にひとりぼっちのリーズが恐怖を感じ始めることから。
そういったいろんな“パリらしさ”がそこかしこに描かれているのが、何よりこの物語の魅力だと思う。

という感じに、リーズの生活やパリの雰囲気ばかりが印象に残っていたが、最近になって久しぶりに読み返してみたところ、んん? と思うところもあった。
リーズ一家の部屋の真上の屋根裏部屋に貧しいおばあさんが引っ越してくるのだが、そのことについてのリーズとお母さんの会話。

「もう、いわないわ。ねえママ! でも、屋根裏部屋に住むなんてへんじゃない?」
「きっと、貧乏なおばあさんで、高いお家賃がはらえないのよ。」
「じゃ、ふしあわせな人なのね。」
「そうでしょうね。」
「それなら、あのおばあさんに、家にきてもらったら?」
「まあ、リーズ、それは無理というものよ。だって、うちは寝室が二つ、ベッドも二つしかないんですもの。」
「あたし、おばあさんに、なにかしてあげたいわ。」
「そのうちに、きっとお役に立つようなときもあるわよ。お年寄りって、ほんのちょっとしたことでも、喜んでくださるものよ。」
(同書、49頁)

思わずつっこみたくなった。翻訳文のニュアンスにもよるのかもしれないし、もちろん時代の変化もあるだろうが、それにしてもだ。二人は差別しているわけではないだろうが、貧しい人に対して上から目線というか、貧しい人というのは不幸なものだ、自分たちは裕福なのだから助けてあげなきゃ、相手も当然喜んでくれるだろう、というのがありありと見えて、ちょっと考えてしまった。
助けてあげようという精神が悪いわけではないが、相手もそれを受け取って当たり前、という押しつけがましさがあるような気がする。それと、お年寄りは優しいものというステレオタイプな決めつけも気になる。

まあ、こういうマイナス点はあるものの、私が疑問に感じたのはそれくらいで基本的には良い作品。
この物語のいちばんのテーマ、読みどころは、パリに住む都会っ子のリーズとノルマンディーに住む田舎っ子のニコラ、ふたりの暮らしの対比。
夜を怖がるリーズに対し、ニコラは……

「それで、ニコラ、夜こわくないの?」
「ぜんぜん。それに、今、ここは、暗くないんだよ。」
「まあ、パリみたいじゃないのね。」
「お月さまが、ぼくの部屋の窓のまん前にあるんだ。すごーく大きくて、赤いんだよ。ちょっとお日さまみたいだけど、光は、ずっとやわらかくって、つやがあるな。ね、きみも、カーテンをあけてみたら? 月が見えるよ。」
「さあ、どうかしら……。だめだわ。まわりの建物が高すぎちゃって、まっ暗な空が帯みたいに見えるだけ。」
(同書、13頁)

このほかにもニコラは、農場の動物のこと、花や日の出など豊かな自然の風景のことをリーズに聞かせる。田舎をあまり知らないリーズは、ニコラと話すことで知らなかった世界に触れる。
こういう都会と田舎の違い、それぞれで育った子どもの感覚の違いみたいなものは現代にも通じる。今では、田舎といってもテレビやインターネットのおかげ?で都会的な環境に近づいていて、世の中が均一化しているというのはあるだろう。とはいえ、田舎でしかできない体験、田舎にしかない風景というのはあり、都会ではどんどん自然が失われてますます都会化しているから、ある意味都会と田舎の差は広がっていると言えるかもしれない。
この作品はそこまでひどい差は描いていないが、そういうものの一端を見せてくれる。都会と田舎の対比という見方で読んでもおもしろい物語だと思う。


もしもしニコラ! (fukkan.com)
J.シャルドネ
ブッキング
売り上げランキング: 708,350

[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-25 02:40 | 児童文学 | Trackback | Comments(0)

図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)


【あらすじ】
正化34年、年始早々原子力発電所を狙った国際テロが発生する。何とかテロは解決するが、この原発を襲うというテロ計画が作家当麻蔵人の小説を参考にしていたことが判明する。これを問題視したメディア良化隊は当麻蔵人に著作活動制限をかける。表現の自由を求める図書隊は、良化隊に追われることとなった当麻を保護し、良化隊と全面対決するが……。


図書館戦争シリーズ第4弾、完結編。今までのシリーズは章ごとにエピソードがあったが、今作は一巻丸ごと当麻蔵人を巡る話となっている。
原発にテロに表現の自由にと、創作のディストピア小説とはいえ現実味を感じさせる。
特に私が他人事に感じられなかったのが表現の自由。
この作品では、原発テロが当麻蔵人の小説の模倣であることが判明したことで、そんなものを書くのはけしからん!と当麻の著作活動が制限、つまり表現の自由が奪われる。
こんなこと現実の日本ではありえない、と言いたいところだが、そうも言ってられないのが今の日本。
改憲、である。

現在の日本国憲法では、表現の自由についてこう書かれている。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


一方、自民党の憲法改正草案ではこう。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。


気になるのは新たに追加された2の部分。「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」ってなんだ? 公益や公の秩序を害しているって誰が決めるんだ? 害することを目的にしているってどうやって判断するんだ?
たとえば、私がこのブログで公益及び公の秩序を害することを書いたと国なのか裁判所なのか誰かが判断したら、問題となった記事は削除しなければいけないの? 私のブログ活動は禁止されるの? それこそ当麻蔵人のように。
なんにしても想像するしかないわけだが、この草案の二十一条はそういった大きな問題をはらんでいる。
つまり、誰かが誰かの表現の自由を侵すということ。
もちろん、今までも表現の自由が制限されたことはあった。だからこそ表現の自由に関連する裁判が何度も起こされ、二十一条を根拠に表現の自由を求めてきたのだし、『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』の例のように、出版物に問題があれば法律で対処してきたわけである。
だが、この草案ではどうだろう。あることが公益を害することを目的としていると判断されてしまえば、それに類するいろんな表現活動も、自主的にであれ強制的にであれ制限されるかもしれない。

現在の憲法の下でさえ、なんでもかんでも自由に表現活動ができるわけじゃないし、法に触れる場合もある。それでも、公益を害しようが秩序を害しようが「一切の表現の自由」を「保障」してくれる憲法の後ろ盾がまずあり、その上で法律で対処するのである。
この草案の二十一条は、最初っから表現活動の範囲を狭めるものとなっている。表現の縛りはさらにきつくなるだろう。
もちろんそうはならない可能性もある。
私の懸念が単なる妄想で終わることを願う。ディストピア小説はあくまで小説だから面白いのだ。現実になってしまったら笑えない。


:日本国憲法第二十一条の条文は、総務省のウェブサイト「法令データ提供システム」から、自民党の憲法改正草案の第二十一条の条文は、「日本国憲法改正草案」から引用させていただきました。

【参考リンク】
「日本国憲法第21条」(2013年1月26日(土)21:47 UTCの版)『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(2013年6月5日(水)07:05 UTCの版)『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 表現の自由に関連する条例についてのページです。

【ブログ内関連記事】
有川浩『図書館戦争』―現実の延長としての“図書館戦争”


図書館革命 図書館戦争シリーズ4 (角川文庫)
有川 浩
角川書店(角川グループパブリッシング) (2011-06-23)
売り上げランキング: 1,291

[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-22 03:20 | 小説 | Trackback | Comments(0)

c0309082_15261890.jpg


日本スケート連盟は6月19日、ソチ五輪など国際大会に派遣する選手の選考基準を発表しました。また、10月5日に開催されるジャパンオープンの出場予定者についても発表がありました。


まずは、派遣の選考基準について。(ペア、アイスダンスについては、一様に全日本優勝者とワールド・ランキング日本人最上位組、ISU シーズンベストスコアの日本人最上位組の中からという選考基準なので下記からは除外しました)

◇◇◇◇◇

オリンピック

全日本選手権終了時に、オリンピック参加有資格者の中から、以下の選考方法で決定。

①1人目は全日本選手権優勝者を選考する。
②2人目は、全日本2位、3位の選手とグランプリ・ファイナルの日本人表彰台最上位者の中から選考を行う。
③3人目は、②の選考から漏れた選手と、全日本選手権終了時点でのワールド・ランキング日本人上位3名、ISUシーズンベストスコアの日本人上位3名選手の中から選考を行う。

オリンピック団体戦

オリンピック代表選手として選考されたシングル選手の中から、オリンピック団体戦のショートプログラム滑走者とフリースケーティング滑走者を、以下の基準に沿って選考。

・オリンピック団体戦 ショートプログラム滑走者
全日本選手権終了時点のISUシーズンベストスコア・ショートプログラム最上位者
・オリンピック団体戦 フリースケーティング滑走者
全日本選手権終了時点のISUシーズンベストスコア・フリースケーティング最上位者

但し、ISUシーズンベストスコア・ショートプログラム最上位者と、ISUシーズンベストスコア・フリースケーティング最上位者が同一選手だった場合は、フリースケーティング滑走者はISUシーズンベストスコア・フリースケーティング次点の選手とする。

世界選手権

全日本選手権終了時に、以下の選考方法で決定。

①1人目は全日本選手権優勝者を選考する。
②2人目は、全日本2位、3位の選手とグランプリ・ファイナルの日本人表彰台最上位者の中から選考を行う。
③3人目は、②の選考から漏れた選手と全日本4位~6位の選手、全日本選手権終了時点でのワールド・ランキング日本人上位3名、ISUシーズンベストスコアの日本人上位3名選手の中から選考を行う。

・尚、過去に世界選手権3位以内に入賞した実績のある選手が、シーズン前半にけが等で上記の選考対象に含まれなかった場合には、世界選手権時の状態を見通しつつ、選考の対象に加えることがある。

四大陸選手権

全日本選手権終了時に、以下の基準のいずれかを満たす者から総合的に判断して強化部で決定。尚、選手の参加希望を事前にアンケートで確認し、ソチ・オリンピックの参加者の調整を最優先。

①シニア・グランプリ・シリーズのランキング上位6名
②全日本選手権10位以内
③全日本終了時点でのワールド・スタンディング上位6名
④全日本選手権終了時点のISUシーズンベストスコア日本人上位6名(組)

・最終選考会である全日本選手権への参加は必須。
・最終選考会である全日本選手権までにISUが定める当該年度の四大陸選手権出場のためのミニマムポイントを獲得できていない場合は選考対象から除外。
・尚、過去に世界選手権6位以内に入賞した実績のある選手が、シーズン前半にけが等で上記の選考対象に含まれなかった場合には、四大陸選手権時の状態を見通しつつ、選考の対象に加えることがある。

◇◇◇◇◇

他にもユニバーシアードだったりジュニアの大会だったりの選考基準も発表されていますが、主要な大会についてはこのようになっています。

五輪の代表決定は全日本の優勝者が最優先されます。
4年前の選考基準では、グランプリファイナルで3位以内かつ日本人最上位であればその時点で内定しました。その時はファイナル2位の織田信成選手と、同じく2位の安藤美姫選手が最も早い内定となりました。
今回はそれがなく、全て全日本で決まるわけですね。
個人的にはファイナルでメダルを取り、しかも日本人最高順位という選手がまっさきに内定を受けるというルールは納得のいくものだったので、変えなくてもいいんじゃないかなーという気もします。
まあ、選考基準は五輪のたびに変わっていますし、いつものことですが。

五輪の団体戦はSP、フリー、それぞれのシーズンベスト最上位の選手が出場するということですから、やはりエース級の選手に相当の負担がかかることになるのかという懸念はありますね。
スケジュールでは、2月6日に団体戦の男子SP、8日に女子のSP、9日に男女シングルフリーが行われることになっています。それから中3日の13日に個人戦での男子SPがありますから、団体戦男子フリーに出場する選手はあっという間かもしれません。疲労の蓄積が心配なところです。


では、次にジャパンオープンの出場者について。

≪日本≫浅田真央、高橋大輔、小塚崇彦、他女子1名
≪北米≫アシュリー・ワグナー、ジョアニー・ロシェット、ジェフリー・バトル、ケビン・レイノルズ
≪欧州≫ハビエル・フェルナンデス、ミハル・ブレジナ、他女子2名

ジャパンオープンは日本、北米、欧州の各地域ごとの合計点で争う団体戦です。
エキシビション的な大会ではありますが、現役選手にとっては早い時期ですし調整するのは大変だと思います。まだ決まっていない枠もありますし、調整の事情などで上記の選手の中でも変更はあるでしょうが、今のところはこのように発表されています。
新たな出場者決定や変更があれば、その際にまた記事を書こうと思います。


:記事冒頭のジャパンオープンのロゴ写真は、ジャパンオープンのオフィシャルウェブサイトから引用させていただきました。

【ブログ内関連記事】
ISUグランプリシリーズ13/14、エントリー発表
[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-20 15:43 | フィギュアスケート(大会関連) | Trackback | Comments(0)

c0309082_23415980.jpg


フィギュアスケーター衣装コレクション第2回は、元フィギュアスケーターの中野友加里さんです。

続きを読む
[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-17 00:56 | フィギュアスケート(衣装関連) | Trackback | Comments(2)

日本児童文学名作集〈下〉 (岩波文庫)


【ブログ内関連記事】
桑原三郎・千葉俊二編『日本児童文学名作集〈上〉』―日本児童文学の夜明け


【収録作】
「蜘蛛の糸」芥川竜之介
「三人兄弟」菊池寛
「笛」小島政二郎
「一房の葡萄」有島武郎
「木の葉の小判」江口渙
「三人の百姓」秋田雨雀
「寂しき魚」室生犀星
「幸福」島崎藤村
「蝗の大旅行」佐藤春夫
「でたらめ経」宇野浩二
「手品師」豊島与志雄
「ある島のきつね」浜田広介
「水仙月の四日」宮沢賢治
「オツベルと象」宮沢賢治
「鷹の巣とり」千葉省三
「影法師」内田百閒
「魔法」坪田譲治
「大人の眼と子供の眼」水上滝太郎
「がきのめし」壺井栄
「月の輪グマ」椋鳩十
「牛をつないだ椿の木」新美南吉


6月8日にアップした〈上〉に引き続き、〈下〉をご紹介。
大正7年(1918)~昭和18年(1943)の作品で、こちらも〈上〉と同様におおむね発表順に収録されている。
日本児童文学の黎明期であった〈上〉と比べ、この大正から昭和の作品群はより自由に個性的に表現がなされていて、バラエティ豊かになっているので、読み物としては〈上〉より面白いんじゃないかと思う。

そして重要なのは『赤い鳥』の存在。
『赤い鳥』は鈴木三重吉が大正7年に創刊した児童雑誌だが、〈上〉の解説でこう説明されている。

創刊のプリントを見ると、「西洋人とちがって、われわれ日本人は哀れにも未だ嘗て、ただの一人も子供のための芸術家を持ったことがありません」とある。だからこそ、『赤い鳥』によって「芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創作する」最初の運動を、当今文壇一流の作家詩人の協力を得て推し進めたい、と三重吉は主張したのであった。〉(桑原三郎・千葉俊二編『日本児童文学名作集〈上〉』岩波書店、282頁)
結果として『赤い鳥』の運動は、これまでの小波流のお伽話とは違った、大人の文学の一ジャンルとしての童話童謡の世界を世に齎したばかりでなく、児童自身の製作する綴方、自由詩、自由画等をも開拓して、日本の子供たちの自由な表現の展開に大きな貢献をしたのであった。〉(同書、283頁)

「大人の文学の一ジャンルとして」というところがある意味問題で、『赤い鳥』が批判される点でもあると思うが、それでもたしかに『赤い鳥』掲載作品には良質なものが多く、〈下〉収録作のうち8編が『赤い鳥』初出である。

全てを取り上げることはできないので、特におすすめのものを。

【笛】
昔、京都に博雅の三位という笛吹きの名人がいた。ある時、彼の家に4、5人の泥棒が入った。博雅は床下に隠れたが、泥棒たちは手あたりしだい散らかし、盗み出していった。しかし、唯一笛だけは残されていて……。
小島政二郎は現代ではいまいち知られていない気がするが、『赤い鳥』の編集に携わったり、鈴木三重吉の奥さんの妹と結婚したりと、文壇の中心にいた人物のようである。大衆小説の世界でも活躍し、Wikipediaには「人気作を次々執筆し、映画化もされ、そちらも人気を集めるなど、戦前から戦後にかけて一世を風靡した。」とある。芥川賞や直木賞の選考委員など文壇の重鎮としても活躍し、1994年100歳で亡くなった。
そしてこの「笛」。ベースとなっているのは『古今著聞集』のなかの2編、「429 盗人、博雅の三位の篳篥を聴きて改心の事」と「430 篳篥師用光、臨調子を吹き海賊感涙の事」である。この2つを合体させ、1つの話として構成している。
このように昔の説話から題材を取る作家と言えば芥川龍之介が有名。小島政二郎は親交があった芥川のことを敬愛していたようで、大正文壇史として有名な自伝小説『眼中の人』や、その名も『芥川龍之介』という伝記? に芥川の思い出を綴っている。そういう見方で「笛」を見ると、題材の取り方も作風も芥川の影響を受けている感じがする。

【寂しき魚】
ある沼に一匹の古い魚が棲んでいた。古い魚はいつも何かを考えているように大人しい泳ぎをしていた。夜になると沼から三里ほど離れている都会の明かりが沼にまで届いた。古い魚は都会に憧れ、地上に出ていきたいと夢見るが……。
以前も室生犀星の作品を紹介し、その独特の暗さを指摘したが、この「寂しき魚」もやはり暗い。
主人公の古い魚は暗い沼を嫌悪し、明るい都会を憧憬する。そして犀星自身、自分の生まれや容貌にコンプレックスを持ち、東京に憧れ上京を夢見ていた。古い魚の姿はそのまんま犀星に重なる。
ところで犀星は魚を題材とした作品を多く書いている。「七つの魚」「哀れな魚」「燃える魚」「不思議な魚」「魚と公園」「火の魚」「魚になった興義」などなど。日本を代表する魚作家と言えるかもしれない。

【蝗の大旅行】
「僕」は去年台湾へ旅行をした。「僕」は阿里山に登るために嘉義という町に行ったが、登山電車が壊れていたために山へは登れず、無駄に2泊した後汽車で町を離れた。汽車はある停車場に停まり、中年の紳士と痩せた紳士が乗車してきた。痩せた紳士の帽子には一匹のいなごがくっついていて……。
列車にいなごが乗ってくるというささやかな出来事に着目した作品ではあるが、そこからどんどん空想が広がっていき、不思議なスケールの大きさを感じさせる。解説で「蝗の眼を通して人間の世界を相対化した」(桑原三郎・千葉俊二編『日本児童文学名作集〈下〉』岩波書店、295頁)と説明されているように、深いテーマをはらみつつもあくまでユーモアあふれる読みやすい作品となっている。

【ある島のきつね】
ある小さな島に寺があり、白いきつねが棲みついていた。きつねはいつも仏壇の供え物を食べるのだったが、ある日もいつものように供え物のまんじゅうを食べようとした。その時、玄関に誰かがやってくる音が聞こえ、きつねが見に行くと、盲目のおばあさんが立っていて……。
浜田広介は「竜の目の涙」「泣いた赤鬼」など幼年向けの童話が多い。文章も平易で、詩情性が高く、とにかく優しい作風である。そのためかどうかはわからないが、50・60年代は批判の対象になったこともあった。それでも「泣いた赤鬼」などは現在まで読み継がれているし、2011年にはアニメ化もされている。それだけ魅力があるということだろう。
私がこの作品の魅力と感じたのは話もさることながら、絵画的な文章。

小さな島が、ありました。まっかなつばきが、さいていました。うららかな日にてらされて、花は、みな、ふくれていました。いま、さきだそうとしているつぼみもありました。青ぐろい葉は、つやつやとひかっていました。そして、青い海の上には、いくつかの帆が、銀のようにかがやいて、うごくともなく動いていました。〉(〈下〉、149頁)

色彩豊かな文章で、島の牧歌的な風景が鮮やかに目に浮かぶ。リアルであるとか臨場感があるというのではなく、あくまでメルヘンとしてその場の雰囲気、空気感をうまく描き出しているなと感じた。

【魔法】
ある日、弟の三平が庭へ駈け込むと、兄の善太が手を上げてそれを止めた。善太は今魔法を使っていると言う。三平は魔法が何のことだかわからず戸惑うが、善太は魔法を使ってみせると言い、蝶を自由に操る。それでも疑う三平に対し、善太は通りかかったお坊さんを蝶に変えてみせると豪語するが……。
子どもの無邪気な遊びをとらえた作品。現代の子どもはパソコンだゲームだと最初から既製の玩具を与えられることが多いが、この善太と三平の兄弟にはほとんど何もない。だから“魔法”という遊びを自ら作り出して、空想の力だけで楽しむ。時代を感じてしまうとともに、なんかいいなあとも感じてしまった。
どういう理由でだったかは忘れたが、坪田譲治もまた、50・60年代に批判された童話作家の一人である。どちらにしろ、子どもの既成概念にとらわれない自由な姿を描いた良作だと思う。

【牛をつないだ椿の木】
ある日、人力曳きの海蔵さんと牛曳きの利助さんが、道から一町ばかり山に入ったところにある清水に水を飲みに行き、その際利助さんは道のかたわらの椿の木に牛をつないだ。ところが牛が椿の葉をすっかり食べてしまったことで、利助さんは地主からひどく怒られてしまう。そこで海蔵さんは道ばたに清水があればと思い、井戸を掘ることを考えるが……。
新美南吉は現代でもそれなりに知名度の高い童話作家だと思うが、特に「ごんぎつね」なんかは教科書にも載っているし、結末が印象的なこともあってか有名な作品となっている。
比較すると「牛をつないだ椿の木」は雰囲気が少し違って、特に結末がその印象を決定づけているのではないかと思う。
ネタバレしてしまうと、海蔵さんは結局井戸を完成させて戦争へ行き、戦死する。「ごんぎつね」では改心したごんが栗を届けに来たところを兵十に撃たれて終わるため、どこかやるせない感じがする。が、今作では海蔵さんは死ぬ前に自分の目的を果たして、井戸という人々の役に立つものを残す。つまり社会貢献をして、他者から認められるわけである。だから、海蔵さんは亡くなりはするが、清々しい余韻となっている。(とはいえ、海蔵さんは他者貢献という以上に、自分がやりたいからやるというエゴイスティックな部分も見えて、それが一段と人間臭くて個性となっているのだが)
こういう作品は数ある南吉の童話の中でも珍しいようだが、「ごんぎつね」や「手袋を買いに」とはまた一味違った味わいでおもしろい。

ということで、6作品について好き勝手に語りました。
芥川の「蜘蛛の糸」や宮沢賢治の2作などは、あえて語るまでもなく名作と知られているので言及しなかったが、もちろんおすすめ。
挙げた6作をはじめ、それ以外も最近じゃあまり読まれないんじゃないかなというのが多いので、ぜひこの本を手に取って昔の児童文学の良さを知っていただけたらと思います。


:「笛」の説明の中で引用した小島政二郎についての文章は、ウィキペディアの小島政二郎のページから引用したものです。以下に引用リンクを明記します。

【引用リンク】
「小島政二郎」(2013年3月24日(日)12:17 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

【ブログ内関連記事】
桑原三郎・千葉俊二編『日本児童文学名作集〈上〉』―日本児童文学の夜明け


日本児童文学名作集〈下〉 (岩波文庫)
桑原 三郎 千葉 俊二
岩波書店
売り上げランキング: 159,027

[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-14 02:28 | 児童文学 | Trackback | Comments(0)

c0309082_0181848.jpg


【あらすじ】
時は慶応4年、4月11日。旗本の養子である柾之助は、酒席でのいざこざで死んだ養父の仇を討てと養母に言われ家を出るが……。一方、佐幕派で江戸市中の治安取締りを行う彰義隊に入隊した秋津極は、許嫁との縁組を解消するため福原家を訪れていた……。


現在、大河ドラマでは『八重の桜』を放送している。『八重の桜』は戊辰戦争を描いているが、中でも会津戦争を主にしている。
この『合葬』もまた戊辰戦争を取り上げているが、こちらが描くのは上野戦争である。

上野戦争は慶応4年5月15日、旧幕府軍である彰義隊と新政府軍のあいだで行われた戦争で、もちろんと言ってはなんだが、新政府軍が勝利を収めた。
『合葬』は彰義隊側の視点から上野戦争前後の経過を描いているが、決して、どちらが正しいとか、あの戦争は何だったのか、彰義隊とは何だったのか、みたいなことを描いてはいない。この作品について、作者の杉浦日向子さんはこう述べている。

四角な歴史ではなく身近な昔話が描ければと思いました。彰義隊にはドラマチックなエピソードが数多くあります。勝海舟、山岡鉄舟、大村益次郎、伊庭八郎、相馬の金さん、松廼家露八、新門辰五郎等、関わるヒーローもたくさんいます。が、ここでは自分の先祖だったらという基準を据えました。隊や戦争が主ではなく、当事者の慶応四年四月~五月の出来事というふうに考えました。〉(杉浦日向子『合葬』筑摩書房、5頁)

そう、あくまである人間が経験した出来事として戦争を描いている。歴史を整理し、上から眺めているような教科書的なものではなく、そこに生きる人間の体感としての戦争。
だから、彰義隊を美化したものにはなっていない。よくドラマや映画では新選組や白虎隊など新政府に抗う人々が美化され、そうした人々の死には美しさがあり、意味があるように描かれる。
しかし、この作品では、彰義隊士たちの死は淡々と描写される。美しくもないし、特別意味付けもなされない。戦争という殺戮を目的とするイベントの中で、当然のごとく血が流れ、人が死ぬだけである。
だからこそ、淡々としてはいるが、それらの死には圧倒的な現実味がある。
ゆえに、むやみやたらに残酷に描いているわけではないのに、戦争というものの虚しさ、惨さがありありと伝わってくる。

一方で、この作品は“戦争”という程遠いものを、身近なものとして感じさせてくれる。
主役級三人―柾之助、極、悌二郎―をはじめ、描かれている人々は、ケンカをしたり恋をしたり家族や友人を想ったりする、私たち現代人と何ら変わりない普通の人間、血の通った人間である。
しかし、そんな彼らが戦に身を投じ、巻き込まれ、殺し、殺される。
普通の人々が突然戦争の加害者となり、被害者となる。ついさっきまで元気だった人間が一発の銃弾によってあっさりと命を落とす。そういったリアリティによって、程遠いものであったはずの“戦争”が自分の隣にぎゅっと引き寄せられる。
柾之助は、極は、悌二郎は、私自身の姿であるのかもしれない。そういう感覚にさえ陥る。

最後にもうひとつ、杉浦さんの言葉を。

江戸時代というと何か、SFの世界のように異次元じみて感じられます。自分の父祖が丁髷を結ってウズマサの撮影所のような街並を歩いている姿など実感がわきません。が確かに江戸と現代はつながった時の流れの上にあり、丁髷の人々が生活した土地に、今わたしたちもくらしています。遠い所の遠い昔の話のようでも、この場所でほんの百二十年前の父祖たちの話なのです。〉(同書、190頁)

まさに「つながった時の流れの上」にあるものとして、江戸の終わりを体感できる『合葬』。ぜひご一読を。


:記事冒頭の書影写真は筑摩書房のウェブサイトから引用させていただきました。以下に、引用リンクを記します。

【引用リンク】
筑摩書房 合葬/杉浦 日向子 著

【ブログ内関連記事】
杉浦日向子『百日紅』―自由な人々 2015年4月13日


合葬 (ちくま文庫)
合葬 (ちくま文庫)
posted with amazlet at 13.06.09
杉浦 日向子
筑摩書房
売り上げランキング: 98,537

[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-10 04:24 | 漫画 | Trackback | Comments(0)

日本児童文学名作集〈上〉 (岩波文庫)


【収録作】
「イソップ物語 抄」(『童蒙教草』より)福沢諭吉
「八ッ山羊」呉文聡
「不思議の新衣裳」(『女学雑誌』「子供のはなし」欄)
「忘れ形見」若松賤子
「こがね丸」巌谷小波
「三角と四角」巌谷小波
「印度の古話」幸田露伴
「少年魯敏遜」石井研堂
「万国幽霊怪話 抄」押川春浪
「画の悲み」国木田独歩
「春坊」竹久夢二
「赤い船」小川未明
「野薔薇」小川未明
「鈴蘭」(『花物語』より)吉屋信子
「ぽっぽのお手帳」鈴木三重吉
「デイモンとピシアス」鈴木三重吉
「ちんちん小袴」小泉八雲(内藤史朗訳)


『日本児童文学名作集』は、明治以降の日本の児童文学作品が上下巻合わせて38編収められている。岩波文庫で手に取りやすいし、これひとつで近代日本児童文学史の流れがわかるので、児童文学に興味がある人にはおすすめ。

で、〈上〉の内容は上述のとおり。
明治5年(1872)から大正5年(1920)までの作品が大体発表順に並んでいる。

いくつか抜き出してご紹介。

【忘れ形見】
両親がいない「僕」は、「徳蔵おじ」と一緒にある村で暮らしている。村にはかつて城があり維新の後取り崩しになったが、今でも遊猟場や別荘があり、「徳蔵おじ」はその番をしている。かつての殿様、現在の子爵はたまに東京から村に帰ってきて、別荘で二週間ほどを過ごす。ある時も子爵は家族とともに村を訪れるが、その際奥さまを垣間見た「僕」は、その美しさ、品の好さに心を打たれて……。
原作はアデレイド・A・プロクターの詩「The Sailor Boy」で、これを物語として翻案している。
内容的には、「僕」の出生の秘密、「奥さま」の過去など、ミステリーめいた雰囲気がある作品。悪く言えばよくある話なのだが、そういった陳腐さを感じさせない情感・哀感がある。
それを作り出しているのが、「僕」の一人称で語られる口語文である。
この作品が発表されたのは明治23年(1890)。この時代の日本文学作品といえば、森鴎外の「舞姫」とか尾崎紅葉の「金色夜叉」とか樋口一葉の「たけくらべ」とか、文語体のものが主流。
その中で「忘れ形見」は少年の語りそのままという文体で綴られている。
たとえば作品はこんな語りで始まる。

あなた僕の履歴を話せって仰るの? 話しますとも、直き話せっちまいますよ。だって十四にしかならないんですから。別段大した悦も苦労もした事がないんですもの。ダガネ、モウ少し過ぎると僕は船乗になって、初めて航海に行くんです。実に楽みなんです。〉(桑原三郎・千葉俊二編『日本児童文学名作集〈上〉』岩波書店、45頁)

「僕」が誰かに自分の思い出を語るという設定で書かれていて、この時代の作品としては実に読みやすい。
少年の喜びや哀しみ、懐古の情が語り口ににじみ出ていて、話の陳腐さ云々よりもそちらの方が強く印象に残る。現代では普通にある少年の独白体小説だが、この時代において話し言葉の一人称小説を書くというのはかなり時代を先取りしたことだったのだろうと思う。

【こがね丸】
ある荘官の家に月丸と花瀬という名の夫婦の犬が飼われていた。しかし、ある因縁から月丸は近くの山に棲む虎、金眸に襲われ殺されてしまう。ちょうど身ごもっていた花瀬は子どもを産み落とした後、死んでしまう。孤児となった子どもは黄金丸と名付けられ、家の裏の牧場の牛の夫婦に育てられる。成長した黄金丸はある時両親の真実を知り、金眸に復讐するために自らを鍛えるために旅に出るが……。
「忘れ形見」から一転、見事な文語体で綴られる仇討ち物語。解説では、「『こがね丸』は、どちらかというと教訓を離れて、少年読者に面白可笑しく読んでもらえる戯作を、馬琴ばりの文体で記した作品と言ってよいだろう。」(同書、276頁)と説明されている。
たとえば黄金丸が産まれてくるシーン。

かかる折から月満ちけん、俄かに産の気萌しつつ、苦痛の中に産み落せしは、いとも麗はしき茶色毛の、雄犬ただ一匹なるが。背のあたりに金色の毛混りて、妙なる光を放つにぞ、名をばそのまま黄金丸と呼びぬ。〉(同書、67頁)

とまあ、こんな感じで続く。
現代人からしたらかなり読みにくいわけだが、しかし呼んでいるうちにその七五調が不思議なリズムを持ち始め、いつのまにか乗せられていく。
発表当時の子どもたちからの人気は相当なものだったらしい。
話としては特に珍しいものでも何でもないが、親の仇を討つという話ゆえの痛快さ、個性的な登場人物、黄金丸や友人の武士然とした佇まい、ユーモアあふれるツッコミどころなど、話の筋以外のところで楽しませてくれる。
ところでこの作品、発表から30年後に口語文で書き直されている。これはこれで良いのだが、何か物足りない。時代劇的な雰囲気が醸し出す独特の情緒、みたいなものが失われている気がする。美文調の仰々しい文章は古めかしくはあるものの、それが前時代的な物語の雰囲気にぴったり合っているのだ。というか古めかしい文章だからこそ、古色蒼然とした風情を描き出せるのかもしれない。
普段全く慣れ親しまない文語体の魅力を感じられる一作。

【赤い船】
貧しい家に生まれた露子は、小学校でオルガンの音を聞いて驚き感動する。露子が先生にオルガンはどこから来たのかと問うと、先生は外国から来たのだと答える。それから露子は大きくなったら外国へ行って音楽を習いたいと憧れるが……。
【野薔薇】
ある大きな国とその隣の小さな国は何事も起こらず平和だった。都から遠い国境には石碑が立っており、両国から一人ずつ兵士が派遣されていた。大きな国からは老人の兵士、小さな国からは青年の兵士。2人は話をしたり将棋をしたりと仲良く交流していたが……。
小川未明は現代でも比較的よく読まれる児童文学作家のうちの一人だろう。作品は抒情性にあふれ、「日本のアンデルセン」とも呼ばれる。
その一方、子ども向けではない、内面を掘り下げていない、雰囲気に頼っているといった批判もある。(もしくはあった)
たしかに未明童話はストーリーで何かを訴えようとしていない。だから情感や雰囲気が前面に出てきて、話の筋で楽しめるとか面白いとかいうのはない。解説は「そこには教訓性は影をひそめ、読者を喜ばせようという意識もない。あるものは、人生というものを自分なりに確かめようとする作家の切実な自己表現である。」(同書、281頁)としている。しかし、それによって「人間の生きる哀歓が描かれる」(同書、280頁)のだ。
普通の人間の喜び、哀しみ、怒り、さまざまな心情がじわじわ滲みるように伝わってくる。それが未明童話の魅力であり、そういう心の機微を描写できる童話作家は今も昔も稀有な存在だと思う。

【デイモンとピシアス】
二千年ほど前、ギリシャに支配されたシシリー島のシラキュースという町に、ディオニシアスという議政官がいた。ディオニシアスは持ち前の才能で出世し、町のことを一人で切り回すようになり、暴君へと化していったが……。
シラキュース、ディオニシアスという名前で気付いた人もいるかもしれないが、この作品は太宰治の「走れメロス」と同じ話である。
「走れメロス」は太宰が文末に「古伝説とシルレルの詩から」と書いていることからわかるように、元ネタがある。ギリシャ神話のエピソード、そしてドイツの詩人シラー(シルレル)の詩「人質」である(と言われている)。この「人質」はギリシャ神話の「デイモンとピシアス」をベースにしているらしい。鈴木三重吉がどの本を参考にしたのかはわからないが、「メロス」よりも前にこの神話のエピソードに目を付け、自分なりに構築し発表したわけである。
ただし、この作品、「メロス」とはだいぶ趣が違う。
まず、主人公がピシアス(「メロス」におけるメロス)ではなく、暴君ディオニシアス(「メロス」ではディオニス)である。ディオニシアスがどうやってその位置まで登りつめたのか、なぜ暴君になったのかなどディオニシアスの半生を描いたものとなっている。
「メロス」をしっかり読み込んだことがないのでうろ覚えだが、「メロス」では暴君の人となりについてあまり書かれていなかったような気がする。それと比較すると、この作品では暴君も人の子なんだなーと人間味が感じられる描き方がされている。
「デイモンとピシアス」と「走れメロス」、比べながら読むのもまた一興です。


〈上〉についてはとりあえずこんなところですが、(下)についても近いうちに書きたいと思います。


【ブログ内関連記事】
桑原三郎・千葉俊二編『日本児童文学名作集〈下〉』―進化する日本文学


日本児童文学名作集〈上〉 (岩波文庫)

岩波書店
売り上げランキング: 121,113

[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-08 01:46 | 児童文学 | Trackback | Comments(0)

c0309082_169459.jpg


6月3日、国際スケート連盟によって、13/14シーズンのグランプリシリーズの日程、開催地、各大会の出場者が発表されました。

◆◆◆◆◆

上から、男子、女子、ペア、アイスダンスの各エントリー表

Entries Men 2013/14- All 6 Events
Entries Ladies 2013/14- All 6 Events
Entries Pairs 2013/14- All 6 Events
Entries Ice Dance 2013/14- All 6 Events

◆◆◆◆◆

各大会に出場する日本人選手とそれ以外の注目選手をざっくりまとめますと……。(敬称略)

〈スケートアメリカ〉
高橋大輔、小塚崇彦、町田樹、浅田真央、リード&リード、エヴァン・ライサチェク、デニス・テン、ブライアン・ジュベール、アシュリー・ワグナー、エリザベータ・トゥクタミシェワ、エレーナ・ラジオノワ、ボロソジャー&トランコフ、ムーア=タワーズ&モスコビッチ、デイビス&ホワイト、カッペリーニ&ラノッテ、シブタニ&シブタニ

〈スケートカナダ〉
羽生結弦、無良崇人、織田信成、鈴木明子、パトリック・チャン、ジェレミー・アボット、ミハル・ブレジナ、キム・ヨナ、アリョーナ・レオノワ、キーラ・コルピ、グレイシー・ゴールド、ケイトリン・オズモンド、ユリア・リプニツカヤ、デュハメル&ラドフォード、川口&スミルノフ、ヴァーチュー&モイヤー、ウィーバー&ポジェ、ジガンシナ&ガシ―

〈中国杯〉
小塚崇彦、村上佳菜子、デニス・テン、ケビン・レイノルズ、フローラン・アモディオ、カロリーナ・コストナー、李子君、アデリーナ・ソトニコワ、アンナ・ポゴリラヤ、サフチェンコ&ゾルコビー、パン&トン、ボブロワ&ソロビエフ、ペシャラ&ブルザ、チョック&ベイツ

〈NHK杯〉
高橋大輔、無良崇人、織田信成、浅田真央、鈴木明子、宮原知子、ハビエル・フェルナンデス、ジェレミー・アボット、アリョーナ・レオノワ、グレイシー・ゴールド、李子君、エレーナ・ラジオノワ、長洲未来、ボロソジャー&トランコフ、川口&スミルノフ、デイビス&ホワイト、カッペリーニ&ラノッテ、シブタニ&シブタニ、イリニフ&カツァラポフ

〈ボンパール杯〉
羽生結弦、パトリック・チャン、ミハル・ブレジナ、フローラン・アモディオ、キム・ヨナ、アシュリー・ワグナー、キーラ・コルピ、アデリーナ・ソトニコワ、アンナ・ポゴリラヤ、デュハメル&ラドフォード、パン&トン、バザロワ&ラリオノフ、ジェームズ&シプレ、ヴァーチュー&モイヤー、ペシャラ&ブルザ、イリニフ&カツァラポフ、ジガンシナ&ガシ―

〈ロステレコム杯〉
町田樹、村上佳菜子、宮原知子、今井遥、高橋&木原、エフゲニー・プルシェンコ、ハビエル・フェルナンデス、ブライアン・ジュベール、ケビン・レイノルズ、カロリーナ・コストナー、エリザベータ・トゥクタミシェワ、ユリア・リプニツカヤ、長洲未来、ケイトリン・オズモンド、サフチェンコ&ゾルコビー、ムーア=タワーズ&モスコビッチ、バザロワ&ラリオノフ、ボブロワ&ソロビエフ、ウィーバー&ポジェ、チョック&ベイツ

という割り振りになっています。

ざっと見渡しておっ! と思うところはいくつかありますが……

①復帰組
グランプリ参戦は09/10シーズン以来となるキム・ヨナは、カナダとフランスで久しぶりのグランプリ復帰。バンクーバー五輪以来試合には出ず、復帰復帰と言われつつも実現していないライサチェクはアメリカにのみエントリー。果たして今度こそ復帰となるんでしょうか。プルシェンコも地元ロシアにのみエントリー。そして昨年のGPファイナル以来、ケガの影響で試合に出場できていないコルピはカナダとフランスです。

②デビュー組
主なGPデビュー選手は、男子がマックス・アーロン、ジョシュア・ファリス、ハン・ヤン、ジェイソン・ブラウン。アーロンはすでにワールドや国別に出てるので、なんかデビューという感じがしないですね。ハン・ヤンも四大陸の印象が強烈でしたし。それ以外の2人は世界ジュニアの金・銀メダリストです。
女子はエレーナ・ラジオノワ、アンナ・ポゴリラヤ、宮原知子各選手。一昨年のソトニコワ、トゥクタミシェワ、昨年のリプニツカヤ、そして今年の2人とロシアンガールズが続々とデビューです。
そして、なんといっても宮原選手がシニアデビュー! どうするのかな? と気になっていたのですが、宮原選手は五輪出場の意欲が強いようなので、そのことを考えるとやはりGP参戦というのは必須かもしれませんね。NHK杯とロステレコム杯エントリーですが、どちらもかなりの強豪ぞろい。その顔ぶれの中で宮原選手がどんなデビューを飾るのか、今から楽しみです。

③高橋&木原組デビュー
こちらもデビュー、ペアの高橋&木原組です! ロステレコム杯のみですが、GP参戦は予想していなかったのでちょっと驚きました。
そしてこちらもビックリ、ボンパール杯には高橋成美選手の元パートナー、マーヴィン・トラン選手の名前が! Natasha PURICHという選手とのペアで、もちろんカナダ代表としてエントリーしています。
ワールドで銅メダルを獲得しながらも残念ながらペア解消となってしまった2人ですが、それでもこうやって新パートナーとともにさっそくGPデビューというのはうれしいですし、トラン選手も頑張ってほしいなと思います。

④そのほかの日本選手
日本のエースである高橋、浅田両選手が開幕戦のアメリカからさっそく登場です。
羽生選手は2戦ともチャン選手と一緒ですが、「いい刺激をもらえるのでうれしい」といった前向きなコメントが入ってきていますね。
今井選手はGP参戦以来2大会エントリーを守ってきたのですが、残念ながら今年はロシアの1試合のみとなっています。
リード兄弟もアメリカにしかエントリーされていませんが、NHK杯に日本代表枠が空いているのでそこに入れるのでしょうか。やっぱりできるなら2試合出場してほしいなーと思います。

ということで、五輪を占うグランプリシリーズ、まだ4カ月以上先ではありますが、エントリー発表によってさらに期待が高まります。


:冒頭の写真、エントリー表は国際スケート連盟のグランプリシリーズのページから引用させていただきました。以下に引用リンクを張ります。

【引用リンク】
ISU:Grand Prix
[PR]
by hitsujigusa | 2013-06-04 16:28 | フィギュアスケート(大会関連) | Trackback | Comments(0)