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室生犀星『室生犀星集 童子』―生と死の生々しさ

室生犀星集 童子―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)


【収録作】
「童話」
「童子」
「後の日の童子」
「みずうみ」
「蛾」
「天狗」
「ゆめの話」
「不思議な国の話」
「不思議な魚」
「あじゃり」
「三階の家」
「香爐を盗む」
「幻影の都市」
「しゃりこうべ」


先日まで開催されていたカンヌ国際映画祭で、是枝裕和監督の『そして父になる』が審査員賞を受賞した。
私は是枝監督の映画作品を1本も見たことがないのだが、ドラマ作品『後の日』と『ゴーイング マイ ホーム』が大好きなので、今回の受賞のことを少しうれしく思った。
で、その『後の日』の原作となった「童子」「後の日の童子」が収録されているのが、この『室生犀星集 童子』である。

ドラマ『後の日』は、『妖しき文豪怪談』というドラマシリーズの1本として作られ、2010年にNHKのBSで放映された。このシリーズは文豪の怪談を映画監督がドラマ化するという企画なのだが、前半はドラマパート、後半はドラマを制作する舞台裏や原作に迫ったドキュメンタリーパートとなっている。
なぜ是枝監督が「童子」「後の日の童子」を選んだのかについても語られていたような気がするが、残念ながら忘れてしまった。
でも、たとえ説明されなくてもわかる感じがする。
是枝監督といえば子どもの演出の上手さで有名である。
当時14歳の柳楽優弥さんがカンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した『誰も知らない』、両親の離婚によって離れて暮らす兄弟が主人公の『奇跡』、子どもの取り違えを題材にした『そして父になる』。
そして、「童子」「後の日の童子」も、タイトルからわかるとおり“子ども”が重要な役割を果たす。

「童子」は夫婦が体の弱い赤ん坊を育てる話。母親は脚気を患っていて、その母乳は赤ん坊の脳に悪影響を与えるとされるため、夫婦は乳母を雇ったり母乳を貰いに行ったりしなければならない。夫婦は懸命に赤ん坊を世話するが、赤ん坊は次第に弱り……。
「後の日の童子」では、赤ん坊を亡くした夫婦の元に男の子が現れる。男の子は夫婦を「お父さん」「お母様」と呼び、夫婦も男の子を亡くなった子が帰ってきたものとして接するが……。

この2作品、続き物として読むことができるが、漂う雰囲気が少しばかり違う、ように感じる。
暗い、という点では同じ。では何が違うんだろう。
という疑問について、この本の編者である東雅夫さんとカバー絵を描いた金井田英津子さんが的確に表現している。

金井田 「童子」の、かなりリアルな親の心情が描かれた切ない内容が、「後の日の」でじわっと怪談っていう。そのへん、すごく濃厚な感じですよね。
東 犀星の文体って独特なんですよね。きわめてリアルに書いているかと思うと、ふっとあっち側に行っちゃうような……。

「童子」では、赤ん坊を育てる夫婦の生活が非常に生々しく描かれる。それは臨場感があるとかリアリティがあるとかいうよりも、皮膚感覚に訴えるような生々しさ、じとっと肌に吸い付くような生々しさである。
例えばこんな文章。

乳母は、心を焦ってしぼるほど、乳は、ちびりとしか出なかった。「毎日棄てているほど出た乳なんでございますが。」と、乳房をぐりぐりしぼった。そうしている乳母の額に汗さえ滲んで見えた。「しばらく休んでからにした方がいい。」私は見兼ねてそう言い、心で嘆息した。胸肌のうすい皮づきがくらみを持っているのまで、気になり絶望的な気持ちにした。〉(室生犀星『室生犀星集 童子』筑摩書房、2008年9月、39頁)

目にありありと光景が浮かぶという以上に、五感全部に訴えてくるような感じ。まるでそういう音が聞こえてきそうな「ぐりぐり」という不気味なまでの形容、うごめくかのような乳房の動き、次第に表出してくる汗、胸肌の色の悪さ……。そういったもの全てが合わさって、体感に迫ってくる。
極めつけは赤ん坊の容体が悪化する場面。

私だちは、腹のなかまであぶらを流す思いをつづけた。晩の八時になった。何という変りようであろう、赤児は、もう床にはいったまま、いつもそうする子でないのに、おとなしくぐったりしていた。私はからだじゅうの毛あなに、ぞくぞくする懸命な異体のわからない昂奮をかんじた。〉(同書、78頁)

このように、何とも言えない生々しさが作品全体を覆っている。
が、それゆえにそこに描かれている“命”には存在感、手触りがある。
赤ん坊という生き物が懸命に生き、そして死ぬという命の営みの残酷な生々しさ、である。

一方、「後の日の童子」は全体的にふわふわしている。ベールを一枚隔てた向こう側を見ているような非現実感。帰ってくる男の子からも、命の存在感が感じられない。
特徴的なのは、“影”の描写が目立つこと。

夕方になると、一人の童子が門の前の、表札の剥げ落ちた文字を読み上げていた。植込みを隔てて、そのくろぐろした小さい影のある姿が、まだ光を出さぬ電燈の下に、裾すぼがりの悄然とした陰影を曳いていた。〉(同書、98頁)
笏は、そういうと玄関のそとへ飛び出した。白い道路は遠いほど先の幅が狭り、ちぢんで震えて見える。ふた側の垣根の暗が悒然と覆うているかげを、童子はすたすた歩いていた。電燈は曇ってひかり沈んでいた、と、黒いかげがだんだんに遠のいてゆくのである。〉(同書、120頁)

“影”という形のないもの、触れられないものが作品の象徴となっている。
「童子」では夫婦も友人たちも、そして赤ん坊も、たしかな存在感があり生きている人間特有の生臭さみたいなものが感じられた。
しかし「後の日の童子」の人々は、幽霊かもしれない男の子だけでなく、生きている夫婦にも「童子」ほどの生臭さがない。どこか地から数センチ浮いているような浮世離れ感。

余談だが、犀星は実際に長男を幼くして亡くしている。「童子」の生々しさは実体験に由来しているからこそのものだろうし、「後の日の童子」は犀星自身の願望が込められているために生臭さのない優しいものとなっているのではないだろうか。

ドラマ『後の日』は「後の日の童子」に近い。浮遊している感じ、ぼんやりした感じをよく再現していると思う。
『室生犀星集 童子』はこの2作品以外ももちろん良い。
「童話」「みずうみ」はこの2作同様の幽霊もの、「蛾」「天狗」「不思議な国の話」などは犀星の故郷金沢を舞台にした民俗学的な怪談、「三階の家」「香爐を盗む」などはモダンな都市の姿を描いた怪奇小説。
川端康成が「室生氏の作品のあるものは、幻怪な抽象に至りながら、切実な感動で人に迫る。ふしぎな天才の魅惑である」(同書、363頁)と称賛したという犀星の怪談・幻想小説をぜひ。


:文章内の東雅夫さんと金井田英津子さんの対談は「文豪怪談傑作選」のウェブサイトから引用させていただきました。以下に、引用リンクを張ります。

【引用リンク】
文豪怪談傑作選 『室生犀星集 童子』を含む「文豪怪談傑作選」という文庫シリーズの特集ページです。

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by hitsujigusa | 2013-05-30 16:46 | 小説