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泉鏡花、中川学『絵本 化鳥』―失われし母への憧憬

絵本 化鳥



【あらすじ】
 廉は橋のたもとで母親とふたり暮らしをする少年。母親は橋を渡る人々から橋銭を徴収する仕事で生計を立てている。廉は母に学校での出来事を明かし、人間が世の中でいちばん偉いものだと先生が言ったこと、それに対し廉が人も猫も犬もみんな同じけだものだと反論したことを話し――。


 9月に入りいよいよ秋めいてきましたが、今回取り上げるのは明治・大正・昭和を生きた幻想文学の大家・泉鏡花の作品です。もうすぐやって来る9月7日は泉鏡花の命日なのでそれに合わせてなのですが、これまで当ブログでは鏡花と同じ金沢出身で、同じ金沢の三文豪の一人である室生犀星をたびたび取り上げてきました。これは個人的に鏡花以上に犀星が好きだからですが、でも鏡花も好きです。なので今回命日に合わせて、初めて鏡花作品をピックアップしようと思った次第です。
 というわけで、この記事でフィーチャーするのは鏡花の短編作品「化鳥」(けちょう)を絵本化した『絵本 化鳥』です。『絵本 化鳥』は金沢市が主催する泉鏡花文学賞の40周年を記念して制作された絵本で、それ以前にも鏡花作品を絵本化した実績のある、僧侶でありながらイラストレーターとしても活躍する中川学さんが絵を手がけています。

 泉鏡花は幻想性・怪奇性の強い作品を多く発表し、こちら(現実)とあちら(非現実)が絶妙に交錯する唯一無二の文学世界を築き上げた小説家ですが、あまりにも突き抜けて独特なため、また、作品の多くは文語体で書かれているために決してとっつきやすい作家とは言えません。
 ただ、この「化鳥」は元々の文章が話し言葉の口語体で書かれ、さらに主人公の少年の子ども目線の親しみやすさがあり、そういった作品を絵本化したことによって初心者でもとっつきやすい鏡花世界への入り口になっています。
 とはいえ、原作は短編ではあるものの絵本の文章としてはそれなりの長さがあります。そのため原作から物語の本筋と関わる重要な部分を抜き出し、話がちゃんと繋がるように構成。物語を隅々まで味わうためにはもちろん原作を読むのが最良でしょうが、部分的に抜き出して再構成することによって、抽出して凝縮されたエッセンスのように、物語の本質がより分かりやすく、鮮明に浮かび上がるような文章になっています。原文の独特のリズムもそのまま活かされ、昔ながらの言葉づかいのおもしろさ、一編の詩を読んでいるような感覚を味わえます。たとえば物語の冒頭はこう始まります。


おもしろいな、
おもしろいな、

お天気が悪くって
外へ出てあそべなくってもいいや、
笠をきて、蓑をきて、
雨のふるなかを
びしょびしょぬれながら、
橋の上をわたってゆくのは
いのししだ。

おおかたいのししン中の王様が
あんな三角形の冠をきて、
まちへ出てきて、そして、
わたしの母様の橋の上を
通るのであろう。

とこう思ってみていると
おもしろい、
おもしろい、
おもしろい。



 かっちりした感じもありつつ、子どもの語り特有の柔らかさや自由さもあり、つい声に出して読みたくなるようなリズミカルな文で、言葉自体はところどころ古めかしい単語などもありますが、全体的に子どもにも読みやすくなっているのではないかと思います。

 ここで改めて作品のストーリーを説明しますと、主人公は小学校低学年くらいの男の子・廉(れん)。お母さんとふたり暮らしで、お母さんは橋のたもとの番小屋で橋の通行料を徴収する仕事をしているので、廉は母と一緒に川沿いの番小屋で暮らしているわけです。
 物語の中で繰り広げられるのは、廉の目に映る橋を渡る人々の風景と、大好きな母との日常。子どもの視点で語られる話は一見脈絡がないようでいて、妙に理屈がきちんと通っていたりして、奔放な想像力によるユーモアもたっぷりで、読んでいて微笑ましくなります。たとえば廉は橋の通行人たちを“いのしし”と言ったり、洋装の太った紳士を“鮟鱇博士”と名付けたり、しばしば人間以外の生き物にたとえます。じゃあそれは人を生きものに見立てて馬鹿にしているのかというと全く違って、それどころか人間も動物も同等、むしろ動物の方が上くらいのいきおいでもって話すんですね。そうした廉の自由な感性の背景にはお母さんの影響が強くあって、人が世の中でいちばん偉いと説く先生に反論した廉を先生がいさめたのを、さらに廉が“先生より花の方が美しい”と言い返したという話を聞き、お母さんは「そんなこと人のまえでいうのではありません。おまえと、母様のほかには、こんないいことしってるものはないのだから。」と優しく語りかけます。存在も、言葉も、ものの見方も、全部ひっくるめて全肯定してもらえる安心感というのが満ち満ちていて、現代の子どもは自己肯定感が低いという統計がありますが(大人も?)、こういう絶対的な肯定というか、何もかも含めて全てをくるんでしまう母の至上の愛情というのが、子どもにとったらどんな物を与えられるとか、どれだけこまめに面倒みてもらえるとかよりも、最高の、かつ基本中の基本の、幸福なのかなと思ったりもしますね。

 そうして母と子の密な世界を軸に物語は進み、中盤ではタイトルにもなっている化鳥=“はねのはえたうつくしいねえさん”というキャラクターが登場し、それをきっかけに廉は異世界へと片足を突っ込むことになります。
 ところで、この物語の背景には作者・鏡花の母への愛慕、憧れの心情があると言われます。鏡花は幼くして母を亡くしていて、その母を追い求める気持ちがこの「化鳥」でも理想的な母親像となって表れていますし、さらにこの世のものでない“化鳥”という美の化身、女神のような存在に昇華され、“美”を最上のものとする鏡花ならではの母への憧憬の吐露となっているのですね。

 そんな幻想的な世界をビジュアル化しているのが僧侶でありイラストレーターでもある中川学さん。中川さんの絵はパソコンで描かれたものだそうですが、輪郭のきりっとした色鮮やかな絵は切り絵のようでも、版画のようでもあり、手作りのようなぬくもりが伝わってき、デジタルという感じがしません。


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 和の要素はたっぷりありながらモダンさもあり、上品さもありながらくすっと笑えるユニークなデフォルメがなされた絵もあり、日本画、版画、切り絵、浮世絵など、日本の絵の伝統を受け継いだ画風は、こちらもまた近世以前の日本的な情緒、妖美な世界を小説という形で提示した鏡花の作風と、まさにぴったりです。

 あまりにも特異で、あまりにも孤高なために、なかなか気軽には手に取りにくい鏡花作品ですが、こういった形のものなら大人はもちろん、子どもにも親しみやすいのではないかと思いますし、ほかの鏡花作品への扉を開ける好いきっかけになるのではないでしょうか。ちなみに、中川さんはほかにも鏡花作品の絵本化を手がけていて、『絵本 化鳥』以前に制作した『龍潭譚』(りゅうだんたん)は自費出版で完全限定生産のかなり高価な品なのでなかなか手に入れるのは難しいと思うのですが、今年の4月に出版されたばかりの『朱日記』はどこでも購入できますし、サイズも手に取りやすい小ぶりなもので、『化鳥』同様、鏡花と中川さんのコラボが素晴らしい本になっているので、ぜひこちらもお読みになってみてください。


:記事内の青地の文章、また、絵は、泉鏡花著、中川学画『絵本 化鳥』(国書刊行会、2012年11月)から引用させていただきました。


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by hitsujigusa | 2015-09-04 18:09 | 絵本