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萩尾望都『A‐A´』―ノスタルジックな宇宙の風景

A-A’ (小学館文庫)


【収録作】
「A‐A´」
「4/4 カトルカース」
「X+Y〈前編〉」
「X+Y〈後編〉」
「ユニコーンの夢」
「6月の声」
「きみは美しい瞳」


 9月12日は日本が独自に制定した宇宙の日です。なぜ9月12日かというと、宇宙飛行士の毛利衛さんがスペースシャトルで宇宙へ飛び立ったのが9月12日だからだそうです。
 そんな記念日に合わせて今回取り上げるのは少女漫画家・萩尾望都さんの『A‐A´』(エー・エーダッシュ)です。少女漫画の母と言える萩尾さんは、「11人いる!」「スター・レッド」「銀の三角」「マージナル」など数多くのSF作品を手がけている少女漫画界におけるSFのパイオニアでもあります。『A‐A´』はSF作品集で、「A‐A´」「4/4 カトルカース」「X+Y」の3編で成り立っているSF連作集と、そのほかのSF作品3編が収録されています。この記事では「A-A´」「4/4 カトルカース」「X+Y」のシリーズについてのみ書いていきます。

 「A‐A´」「4/4 カトルカース」「X+Y」は“一角獣種シリーズ”といわれる同じ世界観の下に描かれたシリーズ作品で、21世紀初頭に宇宙航行用に開発された人工の遺伝変異種である一角獣種がどの作品にもキーパーソンとして登場し、繋がりを持たせています。一角獣とは伝説上の生き物ユニコーンのことですが、一角獣種とはユニコーンのような特徴を持った人間。見た目は頭部が少し盛り上がり、その部分の髪がたてがみ風で赤いメッシュになっていて、性格的な特徴としては基本的に知能は高いものの、感情表現がヘタで、注意力に乏しく、極端にストレスに弱いという扱いが難しい珍種として描かれています。シリーズでは各作品に一人ずつ、計3人の一角獣種のキャラクターが登場し、一角獣種と一角獣種を巡る人々との宇宙を舞台にしたドラマが繰り広げられます。

 各話はそれぞれ独立した話になっており、ざっくりとストーリーを説明しますと、「A‐A´」の舞台はプロキシマ第5惑星“ムンゼル”。事故率が高い宇宙開発の現場では普通にクローンが活用され、宇宙開発プロジェクトに参加する人間はもし死んでもすぐにクローンが再生されることになっている。ムンゼルでも1か月前に事故死した女性スタッフ、アデラド・リーのクローンが再び地球から派遣されるが、ムンゼルでの開発に関わる前に作製されたクローンにはムンゼルで生活していた3年間の記憶は当然なく、新たに人間関係を構築しなければならなくなったほかのスタッフたちはアデラドであってアデラドでない彼女に戸惑う。アデラドの恋人であったレグも動揺を隠せず――。
 タイトルの「A‐A´」とは“A”=オリジナルのアデラドと、数学用語で類似したものを示す´(ダッシュ)の付いた“A´”=クローンのアデラドを表しています。「A‐A´」は1981年に発表された作品ですが、クローンが引き起こす心の問題を描いていて、単にクローンを取り上げるだけでなくその先の課題まで見通す萩尾先生の先見性にはただただ驚かされます。本来なら死んでしまった人はもう戻らなくて、残された人々は弔うしかないのですが、死んでしまった人が戻ってきたらどうしたらいいのか、蘇った死者(しかし別の個体)を迎える側はどういう方向に心を持っていったらいいのか、複雑な心のドラマになっています。
 クローンを題材にした作品は多くありますが、こちらはクローンそのものよりもクローンを巡る心の動きに重点を置いています。そういった意味では映画化もされた梶尾真治さんのSF小説『黄泉がえり』を思い起こさせる部分もありますが(『黄泉がえり』は1999年発表)、『黄泉がえり』は死者がそのまま蘇るのに対し、「A‐A´」はあくまで蘇るのは別の個体で一部受け継がれない記憶もあり、同じ人間なのに別人というところがポイントになっています。どれだけ科学が発達してたとえ人間自体が進化しても心がそれに追いついていかないというストーリーは、私たち現代人にとっても全く他人事でない、すごく現実的な話だなと思いますね。

 2作目の「4/4 カトルカース」は木星の第1衛星イオの第1実験都市が舞台。人工的な改良によって作られたカレイドスコープ・アイ(万華鏡のようにキラキラとした目で赤外線が見える)を持つ15歳の少年モリは、かつて故郷である地球のペルーで狂信的なサバト(魔女や悪魔崇拝の集会)に魔の目を持つとされて生け贄にされかかり、それがきっかけで念動力が発動、現在はテレパシストで鳥の研究者でもあるママミア女史の下でESPの訓練を受けている。しかし、モリの力は強すぎてイオに来てから8年経つ今でも自分で力をコントロールできない。そんな時、モリは新たに実験都市にやって来たサザーン博士の養女である一角獣種の少女トリルと出会う。ほとんど感情を見せず、言葉も満足に話せないトリルだが、なぜかモリはトリルと一緒にいるとスムーズに念力が使えてしまう。一方、一角獣種に陶酔するサザーン博士はさらに優れた一角獣種を作るためにトリルの卵子を使って遺伝子実験をしていて――。
 超能力を持つ少年と一角獣種の少女との心の交流を描いた作品。ここでも重要なテーマとなるのは“心”、“感情”で、元々コンピューターを扱うために開発された一角獣種は感情などないと言うサザーン博士に対し、モリは確かにトリルの感情を感じ取り、心を通わせたと感じます。また、トリルは同じ一角獣種でも「A-A´」のアデラドとは違って未熟であるがゆえに実験対象として博士に都合よく扱われていて、同様に超能力のせいで暗い幼少期を送ったモリとも相まって、科学が生む陰が物語全体に切ない悲哀を漂わせています。

 前編と後編に分かれる「X+Y」は一角獣種の少年タクトと「4/4 カトルカース」の主人公だったモリの一風変わった恋愛話。地球の宇宙開発研究チーム「アレルギー・カルチャー」に所属するタクトは、火星の建国80周年記念の火星改造計画案を決める学会にチームの一員として参加するため火星に行くことに。しかしその直前に行った検査によってタクトが“XX”、つまり遺伝子的には女性であることが判明。が、タクトはそのことに特別関心を抱かず、今後女性になるための処置も拒否する。そうして火星に旅立ったタクトは、たまたま行われていたカイト・レースに参加する大学生モリと出会い――。
 ヒトの性染色体はオスが“XY”、メスが“XX”の組み合わせで構成されますが、タイトルは女と男というのを象徴的に表してますね。「4/4 カトルカース」からは4年後という設定で、モリは19歳。相変わらず能力をうまくコントロールできないでいます。そこにトリルと同じ一角獣種のタクトが現れ、しかもタクトと一緒にいるとトリルと一緒にいた時のような現象が起きてしまい、さらに男であるタクトに恋愛感情を抱いてしまう始末。しかし実際はタクトは遺伝子上は女で、という性別と恋愛の問題が絡んで、「4/4 カトルカース」と比べるとユーモア溢れる明るく楽しい雰囲気となってます。軸となるのはタクトの話ですが、タクトによってモリが救済される話でもあり、第1作、第2作と切ない展開だったシリーズの完結編として最後にほっとできる作品ですね。

 というのがシリーズの概略ですが、ストーリーが素晴らしいのはもちろんとして、魅力的な物語を支えているのが溢れんばかりのリリシズム、ロマンチシズムです。このシリーズに限ったことではなく萩尾SFならどれでもそうなのですが、ドライで無機質になりがちなSFを巧みな道具立てや抒情的な描写によって、SFの枠を超えた奥深い人間ドラマに仕立てています。
 たとえば一角獣種そのものが伝説上の生き物の姿を借りた神話的で美しい存在ですし、「4/4 カトルカース」ではモリの指導者であるママミアが鳥の研究者ということで、熱帯のような温室の鳥の孵化場が登場しますし、「X+Y」ではモリがカイト・レースの選手ということで、カイト(凧)の付いたハンググライダーのような乗り物や、三輪車やスクーターにカイトを取り付けた乗り物が登場します。一見SF的でないモチーフ、アイテムを組み合わせることで物語に効果的なアクセントを加え、それでいて非SF的モチーフだけがヘンに浮いた感じになることもなく、見事に物語の世界観、雰囲気と一体化してロマンを生み出しています。

萩尾望都『A‐A´』―ノスタルジックな宇宙の風景_c0309082_1443056.jpg


 上のシーンはタクトとモリが土星の輪の上をカイト付きスクーターで飛行するという誰もがワクワクするような場面ですが、一見空想的、でも実際は非常にSF的であるというシーンを本当にファンタジックに美しく描いています。
 こんなふうに絵的にも抒情的な作品ですが、もちろん宇宙船や近未来的な作りの建物も多く出てきます。が、たとえば映画の『スター・ウォーズ』に出てくる近未来都市みたいないかにもTHE宇宙といった感じの光景は意外にさほど描かれてなくて、それよりも舞台となる星の自然だったり建物や乗り物の中から見る宇宙の空の色だったり、風景描写が印象的です。「A‐A´」の惑星ムンゼルの流動氷も「X+Y」のカイトから眺める空と宇宙の境目も、見たことなんてあるはずがないんだけれどもなぜか遠い異星の風景という感じがしなくて、むしろノスタルジーさえ憶えます。それは宇宙という場所を単に科学的な空間としてではなく、地球と同じように地があり空があり風が吹く、いわば血の通った場所として描いているから。特別な場所ではなく、私たちが住む世界の一風景として宇宙を描写しているのですね。

 そうした圧倒的な描写力ゆえに、このシリーズは遠い宇宙の彼方のお話……ではなくて、現代の地球から地続き(空続き?)の、宇宙のご近所の星のお話という身近さを感じさせ、あまりSFというジャンルを意識せずに読むことができます。かといってSF色が薄いかというと全くそんなことはなく、難解な専門用語が飛び交う場面もあり、また、「A‐A´」の舞台となるプロキシマや「4/4 カトルカース」の舞台のイオなど宇宙に実在する星も登場します。「X+Y」では上に示したシーンでタクトとモリが“カッシーニの空隙”というところに行こうとしますが、この“カッシーニの空隙”も土星の輪のあいだに本当に存在する隙間のことです。現実の宇宙をベースに、ちゃんとした科学に基づいているからこそ、本当に人間がそこで生きている臨場感に満ちたSFになりえるのでしょうし、登場人物たちの哀しみや喜びや苦しみや葛藤や惑いも、作り話の中の絵空事じゃない、真に迫った心のドラマになっているのだと思います。

 萩尾さんのSFはどれも捨てがたいのですが、その中でも個人的にイチオシのSF作品です。ぜひ、ご覧になってみてください。


:記事内の絵は萩尾望都『A‐A´』(小学館、2003年9月、161頁)から引用させていただきました。

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SF小説・私的10撰 2013年10月6日


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by hitsujigusa | 2015-09-12 00:32 | 漫画